写真全体への目配りと、雅子さまの「余裕」
それから2年、19年バージョンはもっと進化していた。クッションが雅子さまのスーツとバッチリ合っていた。偶然かもしれない。だが、雅子さまが写真全体に目配りをされた結果だと思う。それが「余裕」。雅子さまの自信の表れでもあろう。
思えば、長い道のりだった。皇太子妃時代、雅子さまの病名が「適応障害」と発表されたのは04年7月。04年と05年のお誕生日は文書のみの発表で、写真が復活したのは06年、43歳のお誕生日だった。襟の詰まったグレーのジャケットをお召しの雅子さま。陛下(当時は皇太子殿下)と愛子さまとご一緒の写真も公表され、以後それが恒例となる。
ロングヘアが雅子さまの定番に
その年、5歳の愛子さまは前髪を短めに揃え、肩下10センチほどのロングヘアだった。雅子さまの髪はあごのラインくらい。その長さが外務省時代からの雅子さまの定番だったが、翌07年のお誕生日にはロングヘアに変わる。愛子さまのスタイルに合わせ、1年かけて伸ばしたのだろう。それ以来、今でもロングヘアが雅子さまの定番だ。
07年は陛下と雅子さまが同系色のタートルにベージュのジャケット、愛子さまはパンツが陛下と同じ茶色だった。前年に比べ、3人の調和を意識されていることがわかり、雅子さまの体調が上向いたかと思わせるものがあった。だが、現実はトントンとは進まなかった。雅子さまの公務は増えず、ご一家への批判が少しずつ増していく。その象徴が、雅子さまと愛子さまのそっくりの髪型だった。07年以来、お二人は「おでこを見せた長めのロングヘア」がトレードマークのようになる。
08年、45歳のお誕生日は「おでこ見せロングヘア」に加え、水色のカーディガンに黒いパンツも愛子さまとおそろいだった。学習院初等科1年生になった愛子さまのことを、雅子さまはお誕生日翌月の歌会始でこう詠まれた。「制服のあかきネクタイ胸にとめ一年生に吾子はなりたり」。
ほほえましい歌だが、公務をお休みがちな雅子さまは「内向き」だと批判された。そして翌10年3月、愛子さまが不登校になったことでさらに批判が高まった。雅子さまが、愛子さまに付き添って登校されるようになったのだ。お二人は「母子密着」などと揶揄もされた。その象徴が、そっくりの髪型だった。