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地方は消滅しない――山口県萩市見島の場合「幻の牛と生きる」

2017/08/21
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かわいいペットではいずれ滅んでしまう

 元農協職員の山根和夫さん(68)には特別に愛情を注いできたメスがいた。2002年に生まれた「みさき」だ。「人懐っこくて、放牧場へ行くと、バイクでも車でも私の音を聞き分けて寄って来ました。頭を擦りつけてきて、かわいかった」。

 みさきは子を一頭も産まなかった。何度人工授精しても、ダメだった。そうしたメスは廃用にしなければならない。だが、山根さんにはできなかった。

 牛の寿命は20年ほどとされる。「その前に足を傷めるなどして、牛舎で座ったまま最期を迎えるのが通常です。みさきも、あと1~2年でそうなるのが分かりました。死に目には遭いたくない。ついに今春、廃用にしましたが、かわいそうで、かわいそうで……」。

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 みさきの父は山根さんが飼っていた黒瀬だ。98年に生まれた。体が大きく、優秀な種牛だった。

 山根さん宅ではブラシを当てて毛並みを整えたり、おやつに米を炊いたりして大事に育てた。家族の愛情をいっぱいに受けた黒瀬は、気性の荒い種牛が多い中でも、穏やかで優しい成牛になった。

 その黒瀬の背中に乗馬用の鞍を着け、人を乗せたことがある。「人口が減る島に、少しでも観光客を呼んで、島を知ってもらおう」と、多田さんらと3年ほど行った。

 見島牛は農耕に使っていた時代、鞍で荷物を運ばせていた。荷物がない時は、農作業に連れて行く人間の子を乗せた。そうした島の生活を、本土の人にも感じ取ってもらおうと考えたのだ。最初はメスで試したが、人が乗るとよろめいた。そこで黒瀬に変更した。「黒瀬はゆうゆうと人を乗せて歩いていました」。多田さんと山根さんは微笑む。

「ただし、見島牛をペットとして飼うだけでは、我々の世代で終わりになる」と山田泰宏さん(61)は危機感をにじませる。母牛1頭、子牛2頭を飼う農家だ。

放牧された見島牛はのんびりしている ©葉上太郎

 高校で島を出て、北九州市の病院で働いていた山田さんは島に帰るつもりはなかった。だが85年、父が病気になり、妻を連れて帰島した。その後、農協に就職し、15年に見島支所長で退職するまで、二足の草鞋で牛が飼えたのは、島で唯一の桶職人だった父が技能をいかし、放牧場を3カ所も整備していたおかげだ。「新規就農者には施設がありません。肉牛の出荷で投資も生計も成り立つようにしないと、次の世代には受け継げません」と力説する。山田さんには後継者がいない。

 多田さんも同じ意見だ。まず、頭数を増やさなければならないが、現在の7軒では難しい。しかも後継者は一部しかおらず、島外からの就農者誘致しかないと考えている。

 それには大きなハードルがある。本土までの距離だ。見島牛を見島牛たらしめた海がネックなのだ。

 萩との間には、萩市の第三セクターが高速船を運航している。今でこそ1時間15分で結んでいるが、98年3月までは1時間50分もかかる連絡船だった。日本海では木の葉のように揺れた。

 多田さんは揺れの少ない高速船の就航を目指し、「見島島おこし会」を結成して92年からイベントを行うなどして運動をした。ウインドサーフィン大会で100万円の赤字を出し、会員で負担し合ったこともあるが、7年がかりで目的を達成した。「就航したら、さらに人を呼んでこなければならなくなった」と今もコンサートなどを催しており、もう25年もの活動になる。

 ところが船は替わっても、遠い島というイメージはあまり変わらないのが実情だ。見島が知られていないのが、理由の一つだろう。

 多田さんは島外に出たことがない。「出たら帰って来なくなる」という曾祖父の反対で進学を諦め、中学卒業後から農業一本で食べてきたからだ。だが、多田さんは見島が大好きだ。「暮らしやすい。食べ物が美味しい。独特の文化もある」。

天井につるした六畳大の鬼揚子(多田さん宅) ©葉上太郎

 多田さんは数少ない鬼揚子(おにようず)という縁起物の凧(たこ)の制作者だ。鬼を描いた凧で、長男が生まれた正月には六畳ほどの大凧を揚げる。多田家の応接間の天井には、小学校5年生の孫のために揚げた大凧が飾ってある。

 見島牛は、そうした魅力を本土に橋渡しする起爆剤になるはずだ。

 見島牛の去勢牛や廃用牛は近年、高級肉として取り引きされている。私も萩市で土曜日にランチを食べに行ったが、開店前から30人も並ぶ盛況ぶりだった。この人気を利用すれば、見島への興味をかきたて、就農者を呼び込める。

 今年は「和牛五輪」の年だ。5年に一度開かれる品評会「全国和牛能力共進会」が9月7日、宮城県で催される。この和牛五輪で見島牛が旋風を起こす日を夢見たい。

地方は消滅しない――山口県萩市見島の場合「幻の牛と生きる」

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