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2020/04/02

「したい」と「しなくては」の間にある、とんでもない差

 僕の愛読書であり、遊びを哲学的に考察した名著『ホモ・ルーデンス』(ヨハン・ホイジンガ)には、こんなことが書かれている。

<命令されてする遊び、そんなものはもう遊びではない。 >(29頁)

 また、こんな一節もある。

<すべての遊びは、まず第一に、何にもまして1つの自由な行動である。 >(29頁)

「よし! 今日もグラウンドに行くぞ」という自発的な気分と、「今日もグラウンドに行かなくては」と思う義務的な気分とでは、ほんのちょっとの違いのようでいて、実に大きな違いがある。

「したい」と「しなくては」。

 その間にある、とんでもない差。

「自発的でなければ楽しくない」ということは、「義務化されたとたんに楽しさは消える」ということでもある。

 子どもたちが砂場で好きなものを作っていた時はいきいきしていたのに、「毎日1時間、砂場でお山を作りなさい」と命令されたとたん、それが楽しい遊びでなくなってしまうのは、同じ理由ではないだろうか。

「何かのために走ること」の限界。

 もっと自分の内側から自然に沸き出てくる純粋な気持ちで走りたい。

 理由もなく、ただ走りたい、という気持ちがなかったら、この先は戦い続けられない。

日本学生選手権で48秒47の日本学生新記録を樹立し、代表に選出されたシドニー大会から連続出場となったアテネ大会 ©文藝春秋

過去にとらわれると、人は不自由になる

 その頃からだった。

「たかが陸上じゃないか」「べつにハードルで勝ってもたいした意味はない」「ただ楽しいから走っているんだ」という思いが、僕の中に芽生えてきた。

 そうは言っても、記録を競う競技をやめたわけではなかった。そんな中でモチベーションを創り出し維持していくことは、なかなか難しい。たとえば良い記録が出たとする。でもその記録は、簡単に言えば一瞬にして「過去の栄光」になる。

 そのあとは延々と、自分の最高記録と向き合って、それを超えなければならない試練が続く。

 記録は、未来の自分の首を絞めるものでもあるのだ。

 僕の場合、自己最高記録を23歳の時に出してしまった。そうなると、あとは記録との戦いばかりになった。過去にとらわれると、人は不自由になる。記録に対して、いつも「足りない自分」になってしまうのだ。

 追いつき、追い越さなければならない壁。

 常に、「ねばならない」という課題。

 押しつけられたような重たさ。そのネガティブな雰囲気から何とか逃れたいと思った。どうやったら脱出できるか。もっと自由な感覚を取り戻すために、どうしたらいいのだろうか。 1つの答えは、見えていた。