30代ゲイである僕が過ごす日々の生活は、平穏なものだ。 パートナーと愛犬と暮らし、多くない友人たちとなにげない日常を過ごしている。 

 ただ、たまに、そんな平凡な日常を侵されることがある。 予期せぬ形で、本当に不意に、そして無意味に、突如として他者からの攻撃を受けてしまうのだ。 

「ゲイならそう言えよ」居酒屋で聞こえてきた会話

 居酒屋で同性パートナーと焼きとり片手にビールを飲んでいると、隣の席の会話から「ゲイ」というワードを僕の耳が拾ってしまったのはつい先日のことだ。 

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 ちらっとそちらに目をやってはじめて、隣の席で若いリーマン4人が飲んでいることを知った。パートナーの話はもう耳に入ってこない。 

 隣の席のリーマンの一人が、ずっと彼女がいないうえに焦っている様子もなく、風俗にも興味がないことから「実はゲイなんじゃないか」とか「ゲイならそう言えよ。俺はそういうの認めるタイプだから」と言われていた。 

 言われた本人は「んなわけねぇだろ~!」と笑いながら、ゲイと疑われたことに憤慨してみせた。 

 どんなひとか見てみたいという思いがこみ上げたが、彼は僕の直線上の席に座っていて、顔を覗き込むわけにはいかない。その上、もし彼が本当にゲイだった場合、この会話の流れで、知らないひとから顔をのぞかれてしまったら、余計に傷つけてしまうのではないかと心配にもなり、僕の中のゲイダー(ゲイ+レーダー。ゲイだからゲイがわかるでしょ?とよく言われるが、僕の場合的中率はかなり低い)はスイッチを切った。 

 居酒屋でよくありがちなこの状況のどこがホモフォビアなのか、僕が何をもって「攻撃」だと受け取ってしまうのか、少しもわからない人は意識が低いかもしれない。 

 たしかに、隣の席の会話から「ゲイはキモイ」などという直接的なヘイトは聞こえてこなかった。「認めてやる」とまで言っているのだからいい人じゃないか!と思う人もいるかもしれない。 

 しかし、「男は女に対してガツガツしているものだ、そうでないならゲイではないか、それはそれで認める」という言葉の中には、伝統的な「男らしさ」の強要と、異性愛者は同性愛者を認めるかどうか選ぶ権利があるという意味不明なマウンティングが含まれていることに気づかなくてはならない。 会話に隠された、内なるホモフォビアが問題なのだ。 

 このようなホモフォビアが居酒屋の会話だけで聞かれるのであればまだしも、この令和の時代に、より大きな影響力をもつ映画作品で、より酷い偏見を無駄にまき散らす事態が起こるのだからやるせない。 

 2月14日に公開された映画「バイバイ、ヴァンプ!」はヴァンパイアにかまれた人間は同性愛者になってしまうという設定が問題視された。Xジェンダーであり、バイセクシャル当事者でもある高校2年生が映画の公開停止を求め、多くの署名を集めた。 

 僕はこの作品に出会ったとき、どう行動したらいいのかわからないくらいに、思考が停止してしまった。今後こんなヘイト映画などの表現物が世に出たときに、僕たちはどのように行動をするべきなのか、研究者の溝口さんとライターの松岡さんにお越しいただき、座談会の場を設けてみた。 

左から著者の七崎良輔さん、溝口彰子さん、松岡宗嗣さん

溝口彰子さん 

90年代の東京でのレズビアン・アクティビスト活動を経て、ダグラス・クリンプのもとで博士号取得。著書「BL進化論」シリーズが「2017年度Sense of Gender賞特別賞」受賞。映画についての論文も多数。また、SKIPシティ国際Dシネマ映画祭にて通訳、数多くの映画について評論や応援コメントを執筆など、映画業界にも関わりが深い。

松岡宗嗣さん 

政策や法制度を中心としたLGBTに関する情報を発信するライター。ゲイであることをオープンにしながら、HuffPostや現代ビジネス、Forbes、Yahoo!ニュース等でLGBTに関する記事を執筆。教育機関や企業、自治体等でLGBTに関する研修・講演なども行なっている。

*座談会は2020年3月4日に行われました。