2月14日に公開された映画「バイバイ、ヴァンプ!」はヴァンパイアにかまれた人間は同性愛者になってしまうという設定が問題視された。Xジェンダーであり、バイセクシャル当事者でもある高校2年生が映画の公開停止を求め、多くの署名を集めた。
僕はこの作品に出会ったとき、どう行動したらいいのかわからないくらいに、思考が停止してしまった。今後こんなヘイト映画などの表現物が世に出たときに、僕たちはどのように行動をするべきなのか、研究者の溝口さんとライターの松岡さんにお越しいただき、座談会の場を設けてみた。 (前後編の後編/前編を読む)
溝口彰子さん
90年代の東京でのレズビアン・アクティビスト活動を経て、ダグラス・クリンプのもとで博士号取得。著書「BL進化論」シリーズが「2017年度Sense of Gender賞特別賞」受賞。映画についての論文も多数。また、SKIPシティ国際Dシネマ映画祭にて通訳、数多くの映画について評論や応援コメントを執筆など、映画業界にも関わりが深い。
松岡宗嗣さん
政策や法制度を中心としたLGBTに関する情報を発信するライター。ゲイであることをオープンにしながら、HuffPostや現代ビジネス、Forbes、Yahoo!ニュース等でLGBTに関する記事を執筆。教育機関や企業、自治体等でLGBTに関する研修・講演なども行なっている。
*座談会は2020年3月4日に行われました。
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差別的だったBLはどう進化してきたか
溝口 特に90年代の商業BLは、いまからすると驚くくらい、差別的でした。来る作品来る作品、「拉致・監禁・レイプ」のエピソードが登場したり、恋愛が成就したあとも「俺はホモなんかじゃない! お前がお前だから好きなんだ!」ってセリフが出てくる。
前者は、「嫌よ嫌よも好きのうち」といった女性への性暴力を正当化するロジックをBLの書き手の女性たちが容認して真似しているかのようですし、後者は暗に「ホモ(同性愛者)は悪」という価値観を示しているように見えますよね。
七崎 たしかに。「俺はホモで、お前がお前だから好きなんだ!」で何が悪いのでしょう。
溝口 後者の「俺はホモなんかじゃない!」というセリフについては、「本来だったら(異性愛者男性同士なので)恋愛するはずのない2人」という「奇跡の恋愛」を演出したかった、というのが背景のようです。障害のない恋愛よりも「ロミオとジュリエット」(敵対するモンタギュー家とキャピレット家)の方が盛り上がる、というのに近い。
でも、男同士でラブラブしている人が「俺はホモなんかじゃない」と言うのが、現実のゲイの方々に対して、どれだけホモフォビアなのかってことに気づいていなかった、という事実は変わりません。
ただし時代が下るにつれて、特に今世紀に入ってからは、実際に今の社会で主人公が生きていたら、この人たちはゲイということになるのだから、であれば、彼らがどういうふうにセクシュアリティを自覚していくか、それをどうカムアウトしていくか、周囲はどう反応すべきか、といったことを描くようになる作家が出てきました。
そこで重要なのは、作中で、実際のホモフォビアを描いた上で、どうすればそれを乗り越えられるか、現実でもやろうと思えば可能な形で描いていることです。その意味で、社会に向けて「進化」のヒントを与えています。
一方で、BLは現実逃避の快楽を提供することも重要な役割で、そちらは、オメガバースやモフモフ系、ケモミミ、といったファンタジー設定の作品群が提供しています。現代日本が舞台で「拉致・監禁・レイプ」、「俺はホモなんかじゃない」という作品は、ほとんどなくなりました。
楽しみを追求することで表現が進化することもある
松岡 私もBLを読みますが、溝口さんがおっしゃる通り表現が進化していますよね。 たとえば、BLでは罰ゲームで男性が同性に告白するシーンがよく出てきますが、最近だと作中でキャラクターが「そういうのよくないよね」っていさめるようなセリフが挟まるような変化も見られました。
同性に告白された側も「キモい」という反応が定番だったのが、フラットに「俺は君のことは好きになれないよ」というような表現に変わってきたり。「あそうか、こういう風に表現が変化していくのか」と少し感動したりもします。
溝口 BL作家のすごいところは、ゲイの人に気を遣ってとか、ゲイの人に一生懸命たくさん取材をして、というわけではない人がほとんどで、自分たちの楽しみを追求しているだけ、という人が多いのに、それでも、リアルなゲイの方から見て、ポリティカリーにコレクトな表現にたどり着いている人が大勢いることです。