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 というのも、美男キャラたちは愛でる対象であると同時に、自分の代理人でもある。つまり、自分のことだから真剣に考えるわけですよね。  

 もちろん、自覚的に「私はシス・ジェンダーで異性愛女性ですが、ゲイの若者をエンパワーする物語をBLとして創作します」という作家さんがいる可能性はあるし、それは大歓迎です。

 でも、そうではなく、自作を愛して楽しんでくれる読者のために、自分が愛するキャラたちの身になって想像力を働かせることでホモフォビアを乗り越える具体的ヒントを示す作品が生まれるということ。楽しみから生まれるアクティヴィズム、ということが、BLのすごいポテンシャルだと思います。 

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ゲイ当事者もみんな観ていた「おっさんずラブ」

七崎 BLではないけれど、僕の周りのゲイの友達はみんな「おっさんずラブ」を観ていました。 

 今回の映画はなんの脈絡もなく、「おっさんずラブ」の人気にただただ便乗して、「同性愛要素を取り入れようよ!」ということだけで作られた作品としか思えなかったんです。 

七崎良輔さん

松岡「おっさんずラブ」はファンタジーとして見ていましたが、ある種、今の社会の半歩先を描いていると捉えることもできるのかなと、現実世界とリンクする可能性も見出せる作品だったのかなと思います。

 現実的にはまだまだゲイに対する差別や偏見があるようなところを、「おっさんずラブ」は周囲の人たちの同性愛に対する反応をフラットに描き切って、こういう世界が近い将来、実現するかもと思わせてくれた。エンタメをもって当事者ではない人たちに刺さったというのも大きい。わりとシーズン1の後半は泣きました(笑) 。 

溝口 あの作品のシーズン1に関しては、一番の功労者はやっぱり田中圭さんですよね。 

 だって、30代前半のマッチョなイケメンなのに、春田のセクシュアリティのありようといったら、まるで幼稚園児みたいです。「なんか~、好きって言われちゃったから~」みたいな。でも田中圭さんが演じていると、その生身の身体が説得力をもって、「ありそう」に思えた。 

 

「おっさんずラブのシーズン1」はホモフォビア的な要素もなく、松岡さんの言う通り、このままいったら春田と牧が、現実的なゲイ・カップルの表象に接続していく可能性を残した終わり方でした。でも、映画を観に行ったら残念だった。シーズン1ではいい偶然が重なったんでしょうね。  

松岡 「おっさんずラブ」のシーズン1に対しては、もちろん当事者から「あれは現実ではない」という批判もあがりましたが、必ずしも現実を描く必要はないと思います。逆に、現実にある差別を描くな、とも思わない。ただ、描いたことがどういった文脈で、どういった意味で捉えられるかは意識してほしいんです。それが「バイバイ、ヴァンプ!」には無かったんですよね。 

溝口 個人的には、歩み寄る努力をしない人と辛抱強く対話をするよりも、日本にも幸い良い映画があるので、良い映画をどんどん応援してく方がいいと思います。