「彼に孫がいるという部分では親孝行ができたかな」
——三國は、佐藤や孫の寛一郎(1996年生まれ、2017年に俳優デビュー)の写真を見ながら、「これはこういうときで、こういうことがありました」と話すこともあった。いかつい顔をほころばせて、である。
佐藤 僕にはとくに感慨はないのですが、まあ、彼に孫がいるという部分では親孝行ができたかなという思いはあります。
寛一郎に関しては、世の中のほとんどの方がそうであるように、無条件にかわいがっていました。入院中も帰ってほしくないという思いがすごく強かった。病床で、あの年齢ですからひとりになるのが寂しかったんでしょうね。
三國にはなかった……、こういう言い方はたいへん申し訳ないけれど、僕がひとつの家族を作って、彼にちゃんと見せてあげられたのはよかったんじゃないかと思っています。
僕も過去に、それこそ三國のせいではないにしろ、一回作った夫婦という形を壊していますからね。変なロジックとして、「役者はそれでいいんだ」という甘え、勘違いをしていた自分がいたのはたしかです。三國のせいではなく、自分が浅はかだった。
役者という世界の中にアウトロー気質
——三國は、「役者はそれでいい」を徹底して実践していた。自らがどうあるかこそが、大事だった。他者にはほとんど関心を払わなかった。親しい友人もいなかった。稀代の名優だったからこそ、その生き方は魅力的だったし、許されても来たのだ。
佐藤は話す。
佐藤 昔は、役者という世界の中にアウトロー気質がありました。原田芳雄さんしかり、松田優作さんしかり、まさに三國連太郎しかり。
いささか偏った人間観というか、一匹狼を気取るというか。人に対して越えられない轍(わだち)を勝手に作っているというか。いかに、現場で監督をへこますかとかね。
あの時代の役者さんはみんなそうなんですよ。何とかして、監督の発想を飛び越えた演技をやろうって、誰もが考えていた。それに無上の喜びを感じていたんです。
僕もそうです。現場で激しく、監督とやり合いました。「なんで、こうなるんだよ。生身の人間が、こんなことを言うはずないだろう」って、居丈高に。ただ、僕は、もうそれを現場ではやるべきではないと考えています。