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2020/04/11

忘れられない――おばちゃんに言われた言葉

——ちょっと親父の話からは逸れてしまいますがと断って、彼は続ける。

©︎文藝春秋

佐藤 あるとき、大ベテランのスクリプター(記録係)のおばちゃんに言われたんです。「あんたは勝ったつもりかもしれないけれど、負けているのは監督だけじゃない。あんたが現場で監督をやり込めると、スタッフ全員が屈辱にまみれるんだよ」って。

 そのとき、ハッと思い至りました。監督と事前に話し合っておけば、現場で無用な波風を立てる必要はないんだと。でも、それに気づけたのが僕も四十を超えてからですから。

 一方、三國は晩年もその姿勢を変えていない。監督との「相談」について、こう言っていた。

「監督には、僕がおかしいと思うことを聞いて頂いています。相談を納得するまで続けます。他人からどう思われようと、ぜんぜん関係ありません」

——だから、私は佐藤に言った。「お父様より大人ですね」。彼は、はははと笑う。

「時代が違うんだよ」と言ったけれど

佐藤 今は、そうでないと回っていかない面がありますから。別に、自分が仕事を得るためにではなくて、余分な時間を節約するという意味で。

 親父には、何度か「時代が違うんだよ」と言いました。今、思い出す三國の言葉はいくつかあるんですが、こういうことを言っていました。

「僕らの時代は、10年に1本でよかったけれど、君たちの時代は5年に1本、これっていう作品をやらないと、次の5年を生き残れませんねえ」。

——「  」の部分を、佐藤は三國の声を真似て言った。

 三國は病床に倒れてからも、演じることをまったく諦めてはいなかった。演じられなくなったら、「生きている意味がない」と繰り返し言っていた。その思いをどう理解するかを訊く。

佐藤 これは考え方が二通りあるんですよ。三國には、自分が演ずる作品なり役なりの選択において、普通の役者さんよりかなり高いハードルがありました。

 僕自身は、三國ほどハードルを高くしているつもりはないですし、人間関係でお受けする仕事も当然あります。

 ただ、それでも、こうして60歳を前にして、あと何年できるか。つまり、自分がある程度納得できる状態で何年芝居ができるかと考えたとき、だからこそ、作品や役を選ぶべきだと思うか。それとも、あと何年できるかわからないのだから、できるだけ仕事の数をこなしていくべきだと思うか。

 その二択があったとすれば、僕は前者なんです。三國も当然そうだったと思います。