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人との出会い、作品との出会いは「運」

——佐藤の言葉通りだろう。三國は、「僕ほど素晴らしい作品、骨のある作品に恵まれた役者は珍しいと思います。ただ、まだやり足りないという思いもあります。常に次の一本を探しているんです」と話していた。

三國連太郎

佐藤 人との出会い、作品との出会いは運なんです。『作品に恵まれた』という三國の言葉は、運が良かったということです。

 もしかしたら、先に決まっていた人が断ったから、その役が回ってきたのかもしれない。進んでいた企画が途中でなくなって、暇になって出た作品やそこで出会えた人間が、自分にとって非常に感謝する存在になる場合もある。

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 役者には、そういう運があります。僕も役者という道を選んで、なおかつ四十年やってこられたのは、ものすごい強運があったからだと思っています。

 三國が「やり足りない」と思うのは、本音でしょう。何が彼から光を奪うかというと「演じられない」という一点だけです。役者の業(ごう)というものを持っていた人でしたからね。

 病院に見舞ったとき、彼の顔がほんとうに寂しそうに見えました。

「もっとやっておけばよかった」とまでは言わないまでも、またカメラの前に立ちたいというニュアンスの話をしていました。

「三國も、僕もこう見えてすごく臆病なんです」

 そのとき、「俺も年を取ればこうなるんだな」と思いました。今は偉そうに仕事を選んでいるけれど、老いたら「ああ、あれをやっておけばよかった。あれを受けていればよかった」と絶対思うんだろうなと。

 思うんだけど、それでも、この生き方しかできない。そういうところはやっぱり、親子で変わらないんですよ。

 三國もそうでしたが、僕もこう見えてすごく臆病なんです。あらゆるものに対して、距離を詰めるのに時間がかかるタイプです。だから、本(台本)を信用できない。

 僕らは、演じることに対して臆病なんです。とくに『これは』と思う仕事のときは、自分がなぜ本を信用できないかを徹底的に掘り返す必要があります。

 役者の中には「よくこんなに大胆にできるな」と思う人がいっぱいいますが、僕にそれはできません。