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「がんで亡くなる日本人の多くは、もう助からないと自分で決めてしまう。助かると自分で信じられたら薬も寄り添ってくれます。だから監督のような人は、抗がん剤を飲み、実際に余命宣告を超えて生きていらっしゃるんですから、その体験を世間に公表して下さることが医学にとってもありがたいことです」

 そう勧められたので、「わかった、それじゃあやりましょうか」と心を決めたわけです。

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 大林宣彦監督(81)は広島県尾道市出身。自身の郷里を舞台とした『転校生』『時をかける少女』『さびしんぼう』の「尾道三部作」をはじめ、数々の話題作を手掛けてきた。東日本大震災後は、「戦争三部作」を発表。その3作目にあたる『花筐/HANAGATAMI』(17年公開)は、太平洋戦争開戦前夜の佐賀県唐津市を舞台としており、同市で撮影が行われた。肺がんが発覚したのはまさにその撮影直前のことだった。

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 僕は非常に運がいい人間です。

 10年に心臓にペースメーカーを入れる手術をしてから3カ月に1回、検査をしていたのですが、『花筐』のロケを控えていた16年夏、骨に異常数値が出たんです。その4年前には前立腺がんになっていて、小線源という一度の放射線治療で良くなったものの、転移の恐れもある。「ロケどころじゃありません、このままにしておいたら死にますよ」と主治医の先生に脅され、ロケ地にある唐津赤十字病院で検査を受けました。

 その結果、8月のクランクイン前日、前立腺がんの転移ではなく、「肺がんでステージ4、余命半年」と宣告された。定期検査していた骨に転移してくれていたおかげで、新たに肺がんが発覚したというわけです。

大林監督の予定表 ©文藝春秋

 だからといって静養するという発想は、僕には全くなかった。その2時間後には予定通りミーティングに出て、俳優やスタッフを前に、「最初に皆さんに言っておきますが、たった今、肺がん宣告を受けました」と報告しました。あの時は皆、特に驚いていなかったと思うけどなぁ。

 実のところ肺がんと知って、僕はホッとしていたんですよ。

 というのも、この作品はもともと1975年に商業映画デビュー作として企画したもので、当時、原作者の檀一雄さんにお目にかかっているんですが、檀さんは肺がん末期で、遺作となった『火宅の人』を口述筆記されている頃でした。結局檀さんが亡くなった後に企画は中止となったのですが、戦争や肺病で死が身近にある登場人物たちの切迫感を、平和ボケの時代の僕が表現する資格があるのだろうかと不安だった。

 だから、檀さんと同じ肺がんと聞いた瞬間、「この映画を作る資格がもらえた」と嬉しくなったんです。