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《コロナに直面した「涙の皇后」》令和皇室はいま国民の目にどう“見える”か?

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 また、両陛下が何か行動で示されようとした場合、皇族や同行するスタッフにも感染の危険があります。実際にイギリスでは、チャールズ皇太子が新型コロナウイルスに感染しました。一般の国民の移動がこれだけ制限されている状況を鑑みても、皇族が外に出て姿を示すことで国民に何かを伝えることは現実的に難しい状況です。

 さらに、前例のない感染症被害であることも行動が取りにくい一因でしょう。

 雲仙普賢岳の噴火、阪神淡路大震災、東日本大震災と、平成の時代は多くの災害に見舞われましたが、自然気象災害が多かった。今回は感染症ですから大きく性質が異なります。近現代の皇室がほぼ直面したことのない事態ですから、対応したマニュアルもありません。周りの職員にもノウハウがなく、迅速に行動しづらいのかもしれません。

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直面した「平成流の限界」

 ただ、これだけ国民生活が揺れているなか、天皇の存在感が薄いまま時間が過ぎゆくことは深刻な問題です。なぜなら天皇がお手本とされる「平成流」の皇室のあり方が、このままでは成り立たなくなってしまうからです。

 平成という時代に、天皇という存在がもつ意味合いは大きく変わりました。

 昭和までの権威を体現する「近寄りがたい」存在とは違い、平成以降は国民にふれあい、寄り添う存在になりました。昨年11月の即位を祝うパレードでは多くの人が両陛下にためらうことなくスマホのカメラを向けましたが、それだけ皇室と国民はずっと「近しい」関係になったのです。

即位を祝うパレードで涙を見せる皇后さま(2019年11月) ©共同通信社

 また、先述の通り平成の両陛下は被災地を高齢になっても懸命に訪問される姿を示すことで、国民から尊敬のまなざしが向けられるようになった。人々はその存在に、強い「道徳性」を感じていったのです。

 この「近しさ」と「道徳性」こそが、平成流の皇室を成り立たせる大きな原動力でした。

 ところが、今回の新型コロナウイルス問題では、被災地訪問という形で国民の近くに寄ることが物理的に出来ません。国民とふれあう機会が否応なしに制限され、「近しさ」も「道徳性」も国民に示すことができない。「平成流」の限界に直面しているのです。