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《コロナに直面した「涙の皇后」》令和皇室はいま国民の目にどう“見える”か?

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雲仙普賢岳噴火の被災地での「賭け」

 昨年5月1日に始まった「令和」という元号も、間もなく1年となります。令和の皇室はスムーズな滑り出しをみせていました。

 昨年9月に両陛下が秋田県をご訪問された際には、雅子さまが保護犬に触れあう微笑ましい姿が報じられました。11月の即位を祝う行事では、アイドルグループの嵐が「奉祝曲」を披露する様子をご覧になっている両陛下の姿、両陛下が手を取り合い支え合う姿に国民の視線が集まりました。特に、即位パレードで雅子さまの涙ぐまれた姿は、これまで以上に「親しみやすい開かれた皇室」のあり方を示したとも言えます。

「天皇陛下ご即位をお祝いする国民祭典」に出席された天皇皇后両陛下 ©JMPA

 そんな順調な船出から一転して、新型コロナウイルスの問題に対応できていないように見えるのは、東日本大震災の時に比べて天皇の在任期間に差があることも大きい。東日本大震災は平成23年に起こりました。在位20年以上の平成の天皇陛下が対応したわけです。しかし、いまの天皇陛下はようやく在位1年を迎えようとしている状態なのです。

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 思い起こせば、平成の時代も即位して間もなく、大災害に直面しています。それは、平成3年の雲仙普賢岳噴火です。

 実はこのときの被災地訪問で初めて、天皇が自ら避難所の床に膝をつかれ、国民と同じ目線で言葉を交わされました。いまでこそ、被災地では見慣れた光景かも知れませんが、その当時は異例中の異例の出来事だったのです。

雲仙普賢岳噴火の被災者と膝をついて話される天皇皇后両陛下(現・上皇上皇后両陛下)(1991年7月) ©共同通信社

 なぜそのような決断を迫られたのか。そこの背景には、今では想像もできないような、皇室に対する世間からの「冷ややかな目」がありました。

 昭和天皇という大きな存在がこの世を去られて、天皇制そのものに対しても懐疑的な人が多かった。国民の多くから愛される存在とはとても言えませんでした。その危機感が天皇に大胆な行動をとらせたのではないかと、私は考えています。言い換えれば、天皇が「賭け」に出なければならない局面だったのです。

 しかしいま皇室が置かれている状況は、まだそこまではないと見られているのかもしれません。とはいえ、対応をすぐにしないと、当時と同じような局面になると考えてもいいかと思います。