世界には一見不可解な「習俗」が数多く残っている。旅人に自身の妻を差し出したり、神殿で巫女が売春していたり、死者や植物と結婚することが当たり前であったり……。

 インターネットが全世界に広がり、世界は格段に狭くなっているにもかかわらず、それらの奇習はなぜ今も存在し続けるのだろう。その謎に迫った『世界の性習俗』(角川新書)から、日本で行われていた性習俗について紹介する。

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日本にも数多くの性習俗が存在していた

《誘拐婚》

「嫁かつぎ」「嫁盗み」と呼ばれる誘拐婚は、日本中に存在しました。

 たとえば1919年(大正8)には、高知県で一人の男が美人を誘拐して無理やり結婚したが、妻がその親に連れ戻されたのを恨み、親を猟銃で射殺した事件が起こっています。これは比較的現代になったからこそ事件化したわけで、それより昔なら表沙汰にすらならなかったでしょう。

 なお、誘拐婚を行う理由はキルギスの場合とほぼ同じで、結納金を払えないからとか、認められない結婚を誘拐されたという形にして認めさせる、などです。また、大阪にも「ボオタ(奪おた)」と称する誘拐婚がありました。

 有名なおとぎ話の「物くさ太郎」には、物くさ太郎が嫁を欲しくなり、「辻取」と称して、清水寺で女を拐して結婚する様子が描かれています。それほど略奪婚はポピュラーだったのでしょう。「人商」「かどわし」と称する誘拐専門の業者がいたことも知られています。他にも「めとる」という言葉の語源は「女捕る」──つまり女を略奪するという意味だった、とも言われているのです。

※写真はイメージです ©iStock.com

《夜這い》

 私は、最近まで夜這いが行われていた徳島県の山奥まで、夜這いの経験者の話を聞きに行ったことがあります。夜這いはかなりの場所で高度成長期のころまで残っていました。古くは『竹取物語』『源氏物語』にも夜這いの記述があります。夜中に男が意中の女の家に忍んで行き、戸を開けて中に入ります。そこには、鍵がかかっていません。中は真っ暗ですが、頭を触って髷があるかどうかで娘であることを確認し、その場か外で交わるのです。女は嫌なら拒否すればよい、ということになっています。

 完全に村公認の制度なので、娘のところに誰も夜這いに来なければ、親も心配して、若い男たちに「たまにはうちにも夜這いに来てくれ」と懇願するほどでした。そうしないと、結婚の相手が見つからないからです。また、夜這いを拒絶する家は恨まれ、戸や屋根を破壊するなどの嫌がらせを受けました。かりに夜這いで子供ができても大して問題にもならず、男が「この子、まったくわしに似てないだろう」と笑い話にするほどでした。

 また「後家女は村持ち」という言葉もあり、後家さんならどんな男でも夜這いを仕掛けてかまいませんでした。「半田・亀崎女のよばい」などという言葉も残っている通り、女が夜這いをしかける地域もありました。