昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

2020/04/18

genre : ライフ, 社会

外国人が書き残した奇妙な日本

《宗教売春》

 戦国時代に日本にやって来た宣教師ルイス・フロイスは、次のように書き記しています。

 日本では比丘尼(biqunis)の僧院はほとんど淫売婦の街になっている。(中略)日本の比丘尼(biqunis)はいつでも遊びに出かけ、時々陣立(jindachi)に行く(岡田章雄訳注『ヨーロッパ文化と日本文化』)

 実際、比丘尼(尼僧)は売春と密接に関わっていて、特に「歩き巫女」と称する巫女たちは、各地を布教して回りながら売春を行ったのです。

 また、日本の大きな神社の近くには、売春街があることが多いのです。代表例が伊勢神宮で、ここの近くには古市という有名な色街があり、かつては七十軒もの遊郭が立ち並び、遊女たちが艶めかしい声を上げて春を売っていました。

 いったいなぜ、神社の近くに売春街があるのでしょうか。それは、伊勢神宮に参拝する前に、男は「精進落とし」と称して遊郭で女を買う習慣があったからです。女も同様に、行きずりの男に身を任せ、厄を落としてもらうのが通例でした。江戸時代に流行った「お伊勢参り」は、売春ツアーとしての一面もあったのです。

 明治初期に日本を旅したイギリス人女性イザベラ・バードも「この国では悪徳と宗教が同盟を結んでいる。ほとんどの大きな神社は女郎屋に囲まれている」と書き残しています。

※写真はイメージです ©iStock.com

《社会的に認められた同性愛》

 日本は昔から男性の同性愛に非常に寛容であったことが知られています。たとえば仏教寺院では女犯の禁が厳しかったので、僧侶が稚児と愛し合うのが当たり前でした。

 戦国時代には、女性を戦場に連れて行くのは縁起が悪いとされていたため、むしろ衆道(男の同性愛)のほうが高尚だとされ、奨励されました。この時代に日本にやって来たキリスト教の宣教師は、あまりの男色の多さに驚き、激怒したという記録が残っています。宣教師が戦国武将の大内義隆と面会し、武士の男色を非難した時、義隆は傍らに侍らせていた美少年をわざと抱き寄せ、キスをしてからかったと言います。

 また、江戸時代に日本にやって来た朝鮮通信使の申維翰は、男娼が持てはやされていることに驚愕し、次のように書き残しています。

「日本の男娼の艶は、女色に倍する。(中略)国君をはじめ、富豪、庶人でも、みな財をつぎこんでこれを蓄え、坐臥出入のときは必ず随わせ、耽溺して飽くことがない」(姜在彦訳注『海游録』)

 さらに江戸時代には、売れない男の歌舞伎俳優が性の相手をする「陰間茶屋」が人気を博していたことが知られています。

《亡霊婚》

 山形県には「ムカサリ絵馬」という風習があります(ムカサリとは「結婚」「花嫁」の意味)。これは、未婚のままなくなった人を悼み、その人の結婚式の様子を写真や絵にして奉納するというものです。この絵を専門に描く「ムカサリ絵馬師」という人も存在します。ここで重要なのが、相手側は実在の人物を描いてはならない、ということ。もしそういうことをすれば、相手側が「連れていかれて」しまうと言います。