養育費目当てで殺された子どもたち……スラムが「殺人鬼村」と化してしまったのはなぜか

1930年、日本のスラムで起こった衝撃事件の全貌 #2

小池 新 小池 新

 戦後の犯罪史で知られるのは「寿産院事件」。1948年1月、東京・新宿区の寿産院の院長と夫が逮捕された。112人(204人、211人とする資料もある)の嬰児を1人につき5000~9000円の養育費でもらい受け、器量のいい子は1人300円で売り、ほかの子は配給のミルクや食べ物を全く与えず、餓死させていた(103人とする資料が多いが、85人とするものも)。ミルクは横流しし、子どもらの葬祭用の酒は夫が飲んでしまった。公判で2人は「殺すつもりはなかった」と主張し続け、結局院長は懲役8年、夫は懲役4年の判決を受けた。

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長い底辺の生活と世間の偏見によって

 もらい子殺しはいまではとても考えられない犯罪だが、その特徴は、直接の被害者である子どもにまだ自意識が芽生えておらず、加害者に罪の意識が生まれづらいことと、法的被害者であるはずの子どもの母親にも加害者的な側面があることだろう。その狭間に金が絡み、犯行の歯止めが弱い犯罪だといえる。かつての女性が現在よりはるかに多産だった半面、乳幼児の死亡が多かったことも関係する。中でも岩の坂の事件は、貧民窟という要素も加わって特異。貧困が生んだ犯罪というと、レッテル張りとして「ふるさとは貧民窟なりき」の著者に批判されるだろうか。

 ただ、長い底辺の生活と世間の偏見の中で、そこに住む人々の心情が刹那的、即物的になっていったことは疑いようがない。その意味でやはり貧困と無縁ではないと思える。

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【参考文献】
▽「新明解国語辞典第六版」 三省堂 2005年
▽「日本残酷物語 5 近代の暗黒」中の「東京の奈落」 平凡社 1960年
▽塩見鮮一郎「貧民の帝都」 文春新書 2008年
▽西井一夫「新編『昭和二十年』東京地図」 ちくま文庫 1992年
▽小板橋二郎「ふるさとは貧民窟(スラム)なりき」 風媒社 1993年
▽草間八十雄「どん底の人達」 玄林社 1936年
▽紀田順一郎「東京の下層社会」 ちくま学芸文庫 2000年
▽「別冊1億人の昭和史 昭和史事典」 毎日新聞社 1980年
▽日本社会事業大学救貧制度研究会編「日本の救貧制度」 勁草書房 1960年
▽島田昌和編「原典でよむ 渋沢栄一のメッセージ」 岩波現代全書 2014年
▽「警視庁史[第3](昭和前編)」 警視庁史編さん委員会編 1962年