新型コロナウイルスの緊急事態宣言発令により、4月7日、福岡市も対象地域に指定された。

 歓楽街・中洲の閑散とした風景をニュースが伝えた。中洲で働く親と子の生活は大きな影響を受けているに違いない――。3年のうちに顔なじみになった親子や保育園の先生たちの顔がちらついた。

 中洲から徒歩10分、「どろんこ保育園」は、昼間の認可保育園に夜間の認可保育園を併設している。朝7時から深夜2時まで開園している保育園だ。その「親を支える」という型破りな保育を取材した『真夜中の陽だまり』を上梓したのは昨秋のことだ。

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どろんこ保育園

自粛や休業を余儀なくされた「寝る子」の親たち

 0歳から6歳まで、園児は180人。そのうち昼食と夕食の2食を園で食べる子どもが90人。さらに15人ほどがパジャマに着替えてお布団で親のお迎えを待つ「寝る子」たちだ。

 ところが、今、「寝る子」は1人か2人しかいないという。

「寝る子」の親はほとんど全員が中洲やその周辺の飲食店で働く人たちだ。子どもを預けようにも肝心の仕事がないのだ。中洲に2500軒はあるという飲食店が、軒並み営業自粛に追い込まれたためだ。

 昼間に登園する子どもたちの数も3分の1近くに減った。緊急事態宣言を受けて、福岡市が保育園の保護者に対し、警察、医療介護関係者、保育施設勤務など、どうしても子どもを預けなければならない保護者以外の自宅保育を要請したためだ。

 ただ、同じお休みしている家庭でも、昼の家庭と「寝る子」の家庭では内情が異なる。「寝る子」の親たちは、ほぼ全員が自粛や休業を余儀なくされ、収入が途絶えようとしている人たちなのだ。

理事長が語る「中洲の親たちの“苦戦”」

 天久薫さん(70)は、どろんこ保育園を運営する社会福祉法人四季の会の理事長だ。25歳のときに現在の園舎のすぐ近くの長屋で夜間託児所を始めた。当時から現在まで中洲の親たちとのつき合いは45年になる。在園児や卒園児の保護者から現在の苦しい状況を耳にするという。

「小料理屋を経営する保護者は、店を開けると仕入れにお金がかかるからと、早々に休業しました。今は、家族だけでの食事会など、前もって予約を受けた時だけ、店を開けているそうです。でも、それもいつまで続けられるか。割烹を経営しているご夫婦は、500万円の融資を銀行に申し込むと話していました。料理や自家製の珍味を持ち帰りや地方発送で販売して日銭を稼いでいるようですが……」

夕方お散歩に出かける「どろんこの星」の子どもたち

 ホステスやキャバ嬢として雇われの身で働く母親たちも、仕事にあぶれる。派遣会社からクラブやキャバクラに派遣されるホステスやキャバ嬢のなかには、店側から「同伴できるなら、出勤してもいいよ」と条件がつくことがあるという。きっと、同伴できる客を探し、まだ営業している数少ない店に出勤しようとしているのだろうと、天久さんは母親たちの事情を推し量った。苦戦を保育園は見守るしかない。

 中洲の歴史を遡ると、江戸時代には、博多の商人も福岡黒田藩の武士も身分の関わりなく受け入れる遊興の街として賑わったという。

 中洲が不況の打撃を受けたのは初めてではない。昭和40年代の終わりにオイルショックが起きた際には節電のため24時まででネオンの灯りが消され、街が沈んだが、これほど人の気配が失せたことはなかった。

 現代の中洲を構成する小料理屋、クラブ、スナック、キャバクラ、風俗店は、どれも「3密」だ。歴史ある中洲の街は新型コロナウイルスによって姿を変えることになるのか。