両親が出あわなければ自分はいまこの世にいなかったという事実は、喩えようもなく愉快な気持ちに、あるいは不安にさせる。なんらかの偶然や予想外の巡り合わせが「今」を形作っているのだとしたら、もしあのとき別の選択肢をとれば、別の人生があったのかもと、人は夢想しがちだ。現代アメリカ文学の重要作家のひとり、ポール・オースターは、いつもこの「運命」をテーマにしてきた。
『サンセット・パーク』では、16歳のある日、些細な口論の最中に義理の兄が死んでしまったマイルズの、その後を描く。兄の死に対する自責の念にかられて心を閉ざし、通っていた名門大学も辞め、ひっそりと出奔。親との連絡を絶ったまま7年が経過した。現在28歳。不動産屋から派遣される残存物撤去(トラッシュ・アウト)の仕事をこなすも、野心はナシ。しかし、年若い恋人と出あったことで、彼の運命はまた動き出すのだった。
古巣ブルックリンに戻ったのは、玉突き事故みたいに小さな判断ミスから生じた結果なのだが、ようは恋人が成人を迎えるまでの潜伏だ。実家は避け、幼馴染のバンドマンであるビングの誘いに乗ってルームシェア。それも廃屋の不法住居者の一員になる。同居人は他にアーティストの卵で自己肯定感の低いエレンと、悩める大学院生のアリス。折しも不況下で、彼らも事情を抱えている。
〈人間はみなそれぞれ違ってる。ひどいことが起きたときに、それぞれ自分のやり方で反応するんだよ〉
小説は、マイルズだけでなく他の人物たちの視点で描かれる章も連なり、一種の群像劇として読める。エレンは活力みなぎる同居人に気圧されてイジイジと卑屈さを抱え込むし、マイルズの父モリスは、息子との関係の再構築を心から望みつつ、直近ではささやかな浮気の代償に苦しむ。女優である実母は息子を捨てた罪悪感にいまだ囚われている。登場人物たちの(オースター作品はどれもそうだが)身体と感情と過去を持ち、俗っぽい見栄や直情的な思い込みで行動しては痛い目にあったりもする、圧倒的にリアルな人間像は、私たちを魅了する。マイルズだけでなく親目線で読めるのも本作の魅力なのだ。
さて、われらがマイルズだが、彼は恵まれた子供時代を過ごした。容姿もよく、豊かな文化資本を享受し、離婚したとはいえ両親の愛情も十分だ。ひとつの事故で崖下に突き落とされたが、そこからどう這いあがるか、運命を転換させられるかは自分にかかっている。同居人たちとの友情や、恋人といる時の怖くなるほどの幸福感も糧に、いまが心の殻を破るときなのだ。
大人になることの意味を問うこの小説。オースターらしい浪花節が全開で、泣きたくなるような読後感がしみじみと残る。コロナ禍でこもりがちな昨今、人とのつながりを再認識できるあたたかな小説を読むのも悪くない。
Paul Auster/1947年、ニュージャージー州ニューアーク生まれ。コロンビア大学で英文学と比較文学を専攻、大学院中退後フランスに渡る。主な著書に『ガラスの街』『幽霊たち』『鍵のかかった部屋』『ムーン・パレス』など。
えなみあみこ/1975年大阪府生まれ。書評家。京都芸術大学講師。著書に『世界の8大文学賞』(共著)など。