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SMの“縛り”は陸軍方式、海軍方式の二派から発達?――風俗研究家の“変態研究”

本橋信宏が『性風俗50年』(下川耿史 著)を読む

2020/04/26
『性風俗50年 わたしと昭和のエロ事師たち』(下川耿史 著)筑摩書房

“犯罪者ではないのに犯罪者のように見られる存在”風俗研究の泰斗、下川耿史の変態定義である。

 新聞社を中途退社後、一貫して在野の著述家として活動してきた彼は、自身を行動型のタイプではなく、資料発掘を第一とする書誌学派だと任ずるが、下川耿史のフィールドにはさらに口承記録(オーラルヒストリー)が含まれる。

 彼が関心を示す人物は有名無名を問わない。変態が対象である。本書には変態の男女が記録されている。

 SM黎明期の縛りは二種類あった。

 そのひとつが奈良の衛生技師・辻村隆による縛りだった。ひそかに憧れていた従姉妹から「私をあなたの好きにしていいよ」と言われた辻村は高揚するまま腰ひもで縛った。戦中、中国の最前線に送られても、「もう一度彼女を縛りたい、こんなところでは死にたくない」という思いで終戦まで生き延びる。カストリ雑誌「奇譚クラブ」に緊縛写真を掲載、人気を博する。

 対するもう一つの縛りは、SMという造語を生み出した須磨利之という人物の作である。台湾とフィリピンの間にあるバシー海峡で米軍潜水艦の魚雷攻撃をうけ海に投げ出される。戦友たちが悲鳴や絶叫を発しながらフカの餌食にされるなか、なんとか奇跡的に生還。

 辻村隆の縛りが陸軍時代の馬から荷物が落ちないようにバランスよく縛る手法なら、須磨利之の縛りは甲板に荷物を積み込む手法であった。戦後花開いた日本独特の緊縛は、陸軍方式、海軍方式の二派から発達したのであった。

「今度生きて帰ったら、絶対自分の思った通りに生きていこう」(須磨利之)

 終戦直後、庶民を虜にした性風俗はこの二人のように、戦地から復員した青年たちが主導したのである。