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「私たちを撮ってくれませんか?」 ”AVの帝王”村西とおる事務所を訪れた禁断の親子

ドラマ「全裸監督」で描かれなかった昭和AV伝 7000字ロングインタビュー #2

 Netflixオリジナルドラマ「全裸監督」の大ヒットによって、主人公のモデルとなった“アダルトビデオの帝王”村西とおる氏(70)の破天荒な半生に注目が集まっている。

 「死んでもリアルな性を描かない日活ロマンポルノの二番煎じにはならない」と作品作りへの熱意を語る村西氏。その後のアダルトビデオで定番になった演出手法”ハメ撮り””駅弁”誕生秘話や、レジェンドとしての矜持を聞いた。

©文藝春秋

――監督のパワーの源泉はどこにあるんですか?

村西 幼少期の強烈な貧乏体験でしょうね。あんな生活は二度としたくない。だから何が何でも、と豊かさを追求しました。私たちの世代はそういう意味でハングリーですよね。貧しかったけれど、明日は今日より素晴らしい、明後日の方がもっと豊かになると信じられたからね。

 ただもう一方で、“人生は喜ばせごっこ”だというスタンスが基本にあるんです。

著書「村西とおるの閻魔帳 人生は喜ばせごっこ」でございます。」(2010年 コスモの本)

――“喜ばせごっこ”ですか。

村西 商売は自己満足じゃいけませんよ。お客様を喜ばせないとね。私はお客様を喜ばせることを自ら楽しんでやってまいりましたから、そういうところをご評価いただけたのかなと思っています。

――AV作品の中の、視聴者や女優に語りかけるような独特な語り口はそういうところから生まれたのでしょうか。

村西 ご明察! その通りでございます。あの語り口を確立したのは「私にHな言葉をいって・・・」シリーズ(1986年)の女子大生編を撮ったとき。いやらしい言葉で女性が恥ずかしがる様子を撮りたくて、意識的に猫なで声にしたんです。「ナイス」とか「ファンタスティック」という英語も、会話の彩りとして使用してまいりましたが、まさか30年以上経った今でも“村西節”として定着しているとはね!