テレビの伝説回。あの場面はすごかった、とそれぞれ思い出のシーンがあると思うのです。
私にとっては「1988年のワールドプロレスリング」(88年8月13日放送)。
今でこそスポーツ中継やエンタメ番組のエンディングに大物ミュージシャンの曲を流して感動的なVTRを流すのは普通になっていますが、きっかけを作ったといわれるのがこの回なのです。
仕掛けたのは「川口浩探検隊」チームだった。
80年代の人気番組「水曜スペシャル」(テレビ朝日)で放送されていた「川口浩探検隊」シリーズ。俳優の川口浩さんを隊長として“未知の生物”などを見つけに探検する。
水スぺってネタ扱いされているが、視聴者をワクワクさせたという点でテレビ史に大きな功績を残したと思う。そう考えた私は元隊員の方たちに5年ほど前から当時の話を聞きまわっている。その成果は今年中に単行本にまとめようと思っていますが、取材している際に他番組の秘話を聞けたのが今から書く話なのです。
プロレス中継なのにナレーションがついた
元隊員だった現役テレビマン2人に話を聞いていたときのこと。「探検隊のライバルはインディ・ジョーンズだった」というゴキゲンな裏テーマなどを聞いていたらふとこんな話に。
「鹿島さんてプロレスファンでしたよね? そういえば、1988年の『ワールド・プロレスリング』中継は水スぺチームがつくっていたんですよ」
え!?
時系列をおさらいする。探検隊を放送していた「水曜スペシャル」は85年に終了した。プロデューサーだったK氏はそのあとスポーツ局に異動したという。そしてチームKが再結集したのが「1988年のワールドプロレスリング」だったというのだ。
当時、金曜8時という伝統の時間帯を失った「ワールドプロレスリング」は土曜夕方に放送時間を変更していた。新日本プロレスはエースであるアントニオ猪木の衰えが隠せず、沈滞気味であった。
そんなときにチームK(水スぺ班)が投入された。番組名は「88'ワールド・プロレスリング」とあらためられた。演出方法は斬新だった。
プロレス中継なのに番組冒頭やエンディングにナレーションがついたのだ。
その声こそ「川口浩探検隊」を盛り上げた名ナレーション、田中信夫さんであった。「元祖煽りV」とでも言うべき迫真の状況説明。
「灼熱のジャングル、死の密林に分け入った探検隊。そこには、行く手を遮る地獄の死者が待ち受けていた!」
「迫りくる皇帝戦士ビッグバン・ベイダーに猪木はどう立ち向かう!」
だいたい同じ!