昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

わたしの「神回」

2020/05/05

藤波辰爾がアントニオ猪木に直談判した「飛龍革命」

 チームKはほかの見せ方もプロレス中継に導入した。「試合前の控室に潜入する」。

「試合前の控室にレポーターがいて、ベイダーが電話帳をビリッとか破るシーンを入れた。ああいうバックヤードに入っていくっていう演出は結構やってましたね」(スタッフの話)

 今では控室にカメラが入ってレスラーのコメントを追うのは珍しくないが、この新たな演出を取り入れたことによって歴史的な事件が88年に生まれた。

「飛龍革命」(88年4月22日、沖縄・奥武山公園体育館)である。

 リング上の改革を訴え、藤波辰爾(当時・辰巳)がアントニオ猪木に控室で直談判。猪木のビンタに藤波もビンタで返し、興奮した藤波はなぜかハサミを持ち出して前髪を猪木の前で切った。それだけ無我夢中で必死だったのだ。

藤波辰爾 ©文藝春秋

 その様子がすべてカメラに収められ放送された。この模様はファンのあいだで伝説的な回となった。

 緊迫感あるカメラの長回し。尋常ではない場の空気。そして遂にカメラが決定的な瞬間をとらえるドキュメントタッチ。

 そう、「川口浩探検隊」の見せ方と同じだったのである!

 ドキドキハラハラしながら、時には「この展開はなんだ?」という不思議な気持ちも味わう。真剣な熱量があったからこそ翌日のクラスで感想を言い合い、時にはネタとして昇華したのだ。

 プロレス中継にもそんな演出を導入したチームK。

©iStock.com

 しかし経験をしたことのない日をその年の真夏に迎えた。1988年8月8日、横浜文化体育館。IWGPヘビー級選手権試合「藤波vs猪木」である。

 藤波は飛龍革命で天下獲りに邁進し、初めてIWGPのチャンピオンとなる。そして8月8日、チャレンジャーに迎えたのが師匠のアントニオ猪木だったのだ。

 この特別な一戦はプロレスにとって久しぶりのゴールデンタイムでの生放送として組まれた。チームKにとってはロケの「探検隊」や録画のプロレス中継とは勝手が違った。つまり「結末がわからないままの生中継」だったのである。編集や演出に特色を出してきた制作陣にとって正真正銘の“未知の探検”だった。