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解散から16年、東日本大震災に心動かされ

 ボーカルの岸谷香は「再結成って、私の中ではカッコいい響きではなかった。絶対やらないと思っていた」と答える。これが、解散したときのメンバーの総意だったのだろう。

 そんな彼女たちの気持ちを動かしたのが、東日本大震災だった。リーダーでベースの渡辺敦子は「自分に何ができるんだ?って自問自答したときに、ひとりじゃ微力で何もできない。だとしたらプリプリだなって。神様からの声が聞こえたような気がした」と語った。解散後それぞれの道を歩み、ほとんど会うこともなくなっていた5人が連絡を取り合い、震災復興のためにできることはないかと話し合って、再結成を決めたのだ。

 とはいえ、解散から16年のブランクは大きい。この時、平均年齢46歳。5人とも、別の仕事についていたり、家庭を持ち子育てをしたりしていた。番組では、そうした彼女たちの日常もカメラに収めていく。

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©iStock.com

「プリプリはみんなのお母さん世代だからね!」

 ドラムスの富田京子は、演奏ブランクが10年以上あり、練習では息切れしていた。「これじゃあリハーサルというより、リハビリね。やせなきゃ」とため息をつく。練習が終わると、富田は小走りに電車に乗り込む。延長保育で預けていた子どものお迎えの時間が迫っていたのだ。一般男性と結婚している富田は、二人の男の子の母親だ。子どもを迎えに行ったその足でスーパーに行き、晩ご飯のための買い物をする。その買い物も、いちいち品物の値段を見比べながらで、かつてスターだったとは思えない振る舞いだ。

 ギターの中山加奈子は、メンバーの中でただ一人、解散後も音楽活動を続けてきた。自称「ロック大好きおばさん」は、インディーズバンドの一員として地方のライブハウスを回っていた。そのライブの規模は、プリプリ時代のそれとは比較にならない。彼女は解散コンサートでファンの前で語った「この解散が正しかったんだという生き方をします」という自らの言葉が、ずっと心の中に刺さっている、と告白する。

 音楽専門学校で教壇に立つ渡辺敦子は、ベースのコード進行についての授業を行っていた。課題曲はプリプリのヒット曲「世界でいちばん熱い夏」。渡辺が「この歌聴いたことある人?」と訊ねると、手を挙げる者はまばら。それもそのはず、ほとんどの学生たちは、この曲が発売された1980年代後半には生まれていなかったのだから。だが、渡辺は気にするでもなく、「いいのいいの、プリプリはみんなのお母さん世代だからね!」と笑いとばす。