自然にカメラに収められている彼女たちの飾らない人柄
復活ライブ1週間前の最後のリハーサル、練習が佳境に入っていた時に、岸谷香の携帯が鳴る。家で留守番をしていた小学生の子どもからだ。岸谷は顔をしかめながら「ごめんね。お母さん今あなたと喋ってる場合じゃないのよ。紙にぜーんぶ書いてあるから見て。自分でカギ締めて出かけて。もう電話してきちゃヤだ」と諭すように言って電話を切る。
私がこの番組を“神回”とした理由は、彼女たちのこうした飾らない人柄が、驚くほど自然にカメラに収められていることだ。これは、5人がそもそも持っているキャラクターの素晴らしさに加え、取材をした前田亜紀ディレクターの手腕が大きい。前田Dはプリプリのメンバーよりおよそ一回り下。中学時代に憧れたお姉さんたちと同様さばさばした性格で、人の話を聞くのがうまい。いや、仕事としてテクニカルにうまい、というよりも、メンバーの話を聞くのが本当に楽しかったのだろう。
ドキュメンタリーには、被写体と取材者の関係性が必ず映り込む。この番組は、その関係性の良さ、距離感の絶妙さが際立っていた。
5人5様の物語が積み上げられた上で観る復活ライブの映像は、ただ中継で観るそれとは違う意味を持つ。彼女たちの生きてきた背景や被災地への思いが歌に重なり、私は涙なしには観られなかった。
放送後、私のもとには数多くの熱い反響、絶賛の声が届いた。
義援金で建てられたライブハウスでこけらおとしを
だが、話はこれで終わらない。
それから4年後の2016年3月11日。つまり震災からちょうど5年後に、プリプリがもう一度だけステージに立つという。理由は、彼女たちがコンサートで集めた義援金を使って、仙台にライブハウスが建設されたからだ。
プリプリのメンバーは、義援金の使用方法をどうするか、人任せにせず話し合って決めようとしていた。実は2013年の夏に、その時の話し合いの様子を前田Dがカメラに収めていた。その時は、2度目の番組の企画はまったくなかったが、メンバーと継続して良好な関係を保っていた彼女が、放送するあてもなく取材をしていたのだ。こうしたシーンが「あるか、ないか」で番組の価値は大きく変わる。
メンバーは義援金およそ5億円のうち2億円を被災地の医療・福祉団体に、およそ3億円をライブハウスの建設費に充てたい、ということで合意した。そして実にほがらかに、自分たちがこけら落としのステージに立つかどうかを話し合った。「もう50歳になっちゃうし」という富田に、「50も49も51も変わらないよ!」と岸谷。すると富田は「いや更年期もあるし」と、相変わらずあけすけだ。
彼女たちは復興支援をやりっぱなしにするのではなく、自分たちになりにマルをつけようとしていた。その姿を記録したのが、2016年3月13日に放送された2本目の『情熱大陸・プリンセス プリンセス』だ。そこに映っていたのは、笑顔いっぱいの平均年齢50歳の彼女たち。ともすれば美談となりがちなこの手の話だが、彼女たちは大上段に意義を語ることなく、ごく自然に自分たちがやるべきことをやっていた。
この2本のドキュメンタリーは、表舞台に立つ人の社会的な役割とはなんだろう、ということを考えさせてくれた、わたしの“神回”である。