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舞台や大衆が生田絵梨花にもたらしたもの

 あるいはそれは僕の願望にすぎないのかもしれない。舞台『ホイッスル・ダウン・ザ・ウィンド』で、少女スワローが三浦春馬演じる「その男」をキリストだと信じようとするように、分断する世界の中で、演劇という文化が富裕層の膝の上で遊ぶ愛玩犬ではなく、「人々の側」にいてほしいという期待なのかもしれない。

 名高い音楽プロデューサーを遠戚に持つ生田絵梨花はドイツのデュッセルドルフに生まれ、中学3年生の時にグランドピアノを買い与えられ、自宅の防音室で練習を許された。経済的に分類するなら紛れもなく富裕層の階層に生まれた彼女は、本来なら大衆と交わらない道を歩いていたのかもしれない。

 しかし彼女は15歳から所属したアイドルグループで、出会うはずのない多くの他者と出会った。弟の学費を稼ぐために芸能界に入り、目的を果たすと引退し二度と戻らなかった友人や、外国籍の母を持ち小学校から不登校を経験した仲間、そして『レ・ミゼラブル』で演じたコゼットや『キレイ』で演じた暗い地下室で忌まわしい記憶と共に育った少女ケガレの魂、そうした他者との交わりは生田絵梨花に何をもたらしたのだろうか。

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 ウイルスが単純に宿主を殺すだけの存在ではなく、時には生命情報を変え、進化に影響を与えるという仮説のように、成長の季節を迎えた生田絵梨花の声と演技に、僕はその変化の向こうにある彼女の魂について考えていた。

写真はイメージ ©︎iStock.com

いつか来る演劇文化の「復活の日」

 この状況下で演劇を守ろう、とする試みも始まっている。4月24日には演劇プロデューサーの松田誠氏により、舞台専門プラットフォーム『シアターコンプレックス』が立ち上がった。舞台公演の映像配信や今後の舞台のライブ配信、独自番組の制作によって演劇界を支援しようというプロジェクトで、5月1日からクラウドファンディングも開始される。それはいつか来る演劇文化の『復活の日』に向けた生存戦略のひとつだ。

©︎iStock.com

 あの3月27日以来、東京近郊の劇場で大きな公演は行われていない。演劇がもう一度、この国に戻ってくる日のことを、『ホイッスル・ダウン・ザ・ウインド』最後の舞台の観劇以来、僕はずっと考えている。貧富の差に分断された社会に、生きた肉体を持つ役者たちがもう一度、自由と安全の矛盾の中で舞台に立つことができる日のことを。三浦春馬はあの日、最後の舞台挨拶で「この産業はとても血の通った仕事だと自負している」と語っていた。

 彼が演じたザ・マン、ただ「その男」と呼ばれる正体不明の男は、閉塞した田舎町で魂の救済を求める少女スワローに答えようとキリストを演じ始める。ウエストエンドでロングランを重ねた名作戯曲、罪人がキリストの代わりになる物語は、「演じる」という人類の古い行為そのものについての寓話であるように僕には思えた。

 三浦春馬や生田絵梨花たちが舞台に戻る日、変わってしまった新しい世界に演劇が戻り、この国に新しい舞台の第二幕が上がる日を僕は待っている。僕がこの国で見た最後の舞台、それでもあなたは殺人者ではなく人を救う存在になりえるはずだ、と「ザ・マン=その男」に訴えるスワロー、生田絵梨花の、演劇そのものに対する問いかけのような声を記憶の中で思い返しながら。

 

※3P目「小学生の子役にまで『君はこの昼公演が東京のラストになってしまったから』」の「『君はこの昼公演が東京のラストになってしまったから』」に修正しました(2020/07/19 13:10)。