舞台の公式アカウントには公演を批判する書き込み
「ザ・マン」、ただ「その男」と劇中で呼ばれる主人公を演じた三浦春馬は、この戯曲のテーマと同じように、社会の中の鋭い視線の中で主演を務めることになった。自粛要請から休校要請の解除が語られ始めた時期に他の舞台と歩調を合わせてこの舞台が幕を開けた時、SNSの舞台の公式アカウントには公演を非難する書き込みが相次いだ。
信仰心の強い田舎町に流れてきた謎の男は脱獄した殺人犯なのか、それとも少女スワローが信じるようにキリストなのか、という『ホイッスル・ダウン・ザ・ウィンド』のテーマは、「演劇は人を救うものか、それとも人を殺すものか」という問いかけとして舞台に投げ返されているように見えた。
演劇はこの国に戻ってくるのだろうか。時が経つにつれ、この新型感染症は最初に多くの人が考えていたような、夏になり暖かくなればインフルエンザのように収束するものではないということが明らかになりつつある。
感染拡大による自粛要請だけでなく、ロックダウンがもたらす巨大な経済的被害や、それなりに経済的利益で繋がっていた米中という超大国がなりふり構わず互いを非難しあう国際的断絶が始まっている。世界はもう元に戻れないかもしれない。国家の強い統制と、貧富の差に分断される新しい世界に演劇の戻ってくる場所があるのか、誰もまだ答えることができない。
年明けに三浦春馬が経験したSNS上の炎上
主演の三浦春馬はこの新型感染症が本格化する前、1月に小さなSNS炎上を経験した。
明るみになる事が清いのか、明るみにならない事が清いのか…どの業界、職種でも、叩くだけ叩き、本人達の気力を奪っていく。皆んなが間違いを犯さない訳じゃないと思う。 国力を高めるために、少しだけ戒める為に憤りだけじゃなく、立ち直る言葉を国民全員で紡ぎ出せないのか…❄️
— 三浦春馬 & STAFF INFO (@miuraharuma_jp) January 28, 2020
「どの業界、職種でも、叩くだけ叩き、本人達の気力を奪っていく。皆んなが間違いを犯さない訳じゃないと思う。国力を高めるために、少しだけ戒める為に憤りだけじゃなく、立ち直る言葉を国民全員で紡ぎ出せないのか…」というTwitterの書き込みは、ある人々には既婚俳優のスキャンダルを擁護していると捉えられたが、別の人々には「国力」というその言葉選びから、彼が与党の政権スキャンダルを擁護しているのではないか、彼は「右派」なのではないかという解釈も生んだ。
その後、新感染症の拡大にともない政治的な分断は激しさを増していく。三浦春馬はSNS上ではそれ以上の説明を重ねず、真意は今もわからない。あるいは彼の中にはある種の「愛国的」な感情があるのかもしれない。だが、僕があの日に日生劇場で見た三浦春馬は、国家の自粛要請が生み出す「早く公演を中止しろ」「そもそも幕を開けるべきではなかった」という世論の風に反する形で舞台に立っていた。
終演後のカーテンコールで主演として観客に公演の打ち切りを説明する彼の言葉には、少しでも不用意な発言をすれば「公衆衛生に反した」と公演そのものが指弾されかねない、鋭い刃の上を歩くような緊張感があった。それは映画『キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー』で米国の象徴的ヒーローであるキャプテン・アメリカがパブリックエネミーとして社会から追われ、安全との矛盾の間で自由の側に立つ姿を僕に思い起こさせた。
カーテンコールでキャスト一人一人に気を配り、「君はこの昼公演が東京のラストになってしまったから」と挨拶の場を与えようと心を砕く三浦春馬が、この国の中枢部で、自粛要請で困窮する貧困層の問題に冷たく他人事のような答えを返す人々と同じ側にいるようには思えなかった。
その後4月に出版されたエッセイ集「日本製」の中で47都道府県を回り、沖縄で伝統芸能に、福島で農業復興への試みに、広島で『ヒロシマを語り継ぐ教師の会』から被爆の記憶と反戦の思いに耳を傾ける三浦春馬は、かき消される小さな声を聴き取ろうとする繊細で生真面目な青年に見えた。