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2020/05/09

自力で下山を決意

 電話の後、少しでも救急車へ収容されるまでの時間を短縮し、死亡するリスクを少なくしようと自力での下山を開始する。15分ほど歩き、13時20分登山口の車に到着する。流れるような激しい出血は、かなり治まっていた。車のミラーで怪我のようすを確認しようとしたが、左目の視力では確認できなかった。

 むつ消防の救急車から電話が入り、こちらに向かっているとのこと。少しの時間待っていたが、視力の弱い左目でも林道の路肩は確認できる。往路の状況から、脱輪さえしなければ危険は少ないと判断。血液でシートが汚れないよう車中泊用のタオルケットでシートを包み、車を運転して登山口を出発する。少しでも早く救急車に収容してもらいたいとの思いだった。

 20分ほど運転した13時40分、救急車に合流できた。もし、登山口で待っていたら40分は遅れたと思われる。自分の車を邪魔にならない路肩に停め、救急車に収容してもらう。止血・酸素吸入等の応急処置をしてもらいながら、むつ総合病院へ向かう。病院到着後、ただちに処置室(手術室)へ入り、5時間近くもかけ、縫合手術を行なってもらった。頭は脳外科、顔は耳鼻咽喉科、手足は整形外科の各医師が手術を行ない、眼科の医師も診てくれたとのことだ。

写真はイメージ ©︎iStock.com

幸いにもすべて急所を外れていた

 この時の怪我は、結果的にすべて急所を外れており、話す、聴く、見る、歩く、の身体の機能へのダメージか小さかったので、救助依頼、徒歩下山、運転ができた。また、通常であれば激痛によって身体の自由が奪われてしまうのだが、さほどの痛みは感じなく、行動の支障になることはなかった。生命維持のために、感覚が非常時モードになり、通常感じる痛みは感じない状況になっていたものと思われる。こうした機能により、短時間で病院へ搬送してもらうことができた。人間の身体の神秘さと頼もしさも感じた経験だった。

写真はイメージ ©︎iStock.com

 そして、この時の出血量はどれほどだったか知る由もないが、医師の話によると「赤血球数が異常に多かった」とのこと。約1ヵ月前にネパールへトレッキングに行き、高度順化した状態の身体だったことも幸いしたと思われる。

 手術後の経過は、懸念された野生動物の細菌等による感染症もなく、順調に回復した。5月26日抜糸した後の午後、むつ総合病院を退院、迎えにきた妻と車で仙台の自宅へ帰った。