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クマが人を襲うには必然の理由があるはず

 クマと直接対決をしたところで人間に勝ち目はないから、こちらが自らの存在をクマに知らせるための努力をすることになる。それが唯一の自衛手段である。ラジオをかけるか、鈴を鳴らすか、笛を吹くか、あるいは時に応じて声を出すか。できる行為はその程度のものにすぎない。

 クマを愛すべき野生の存在と信じるなら、あとは春先の子連れのクマに気を配り、不意の遭遇を避けることだ。

 それにしても、ツキノワグマは報道されているほど、本当に生息数を増やしているのか。林道の延長による森の伐採でエサ場を奪われ、生息を脅かされたクマたちが、山から里へ移動しただけではないのか。クマはいたずらに人を襲うことはない。すべてに必然の理由があるはずなのである。

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写真はイメージ ©︎iStock.com

子連れのクマに遭遇、後続に知らせるために大声を……

 2009年8月。秋田の堀内沢を遡行した。増水気味の渓からイワナもほどよく飛び出して、私たちは心ゆくまで東北の美渓に酔った。

 マンダノ沢に入って蛇体(じゃたい)淵に泊まったのは2日目の夜。翌3日目は下山日だった。上天狗沢を経て羽後朝日岳に立つ昼ごろから雨になった。下山コースの部名垂(へなたれ)沢は、登山道とは名ばかりの悪路だったが、それでもどうにか、車を置いた夏瀬温泉に続く林道に出て安堵の息をついた。

 雨のそぼ降る夕まぐれ。ヘッドランプを取り出す手間を惜しんだ私は、疲れ果てた後続を待たず、ひとり先を急いだ。

 あと少しで遡行した堀内沢の橋に差し掛かる。そこを渡ってしまえば、夏瀬温泉までは2kmもない。

 林道は屈曲を重ねて闇に消えていた。小さなカーブを抜けた私は、前方の薄闇に揺れる影を認めて足を止めた。右手の山から林道に出たばかりの子連れのクマがそこにいた。出会いがしらの不幸だった。

 クマとの距離は10mもない。私は声を立てずに、相手の出方を見るべきだった。しかし、後続に知らせるために大声を上げてしまったのだ。そのとたん、親グマが猛然と走り出して私に向かってきた。

 クマと出会ったら目を背けてはいけないとか、走って逃げてはいけないなどという教えは机上の空論である。現実に突進してくるクマに対して、そんなことが本当にできるだろうか。目前のクマと格闘するつもりのない私は、その瞬間、クマを背にして走った。

 逃げ切れるはずがない、という自覚はあった。5mほど走った私は、とっさに林道の谷側に身を躍らせた。そこが崖でなかったのが私の幸運である。