渾身の力をこめて蹴り落としたクマの横腹
標的の予期せぬ行動に、クマはそのまま私を追って谷に飛びこんだ。加速していたクマは私を飛び越えて谷の左下方に滑りこみ、身を翻して、ふたたび私を襲おうとした。その間合いの差が、私の2つ目の幸運だった。
目の前に、下方から向き直ろうとするクマがいた。そのクマの横腹を、私は渾身の力をこめて蹴り落としたのである。
幸運の3つ目は、そこに後続のメンバーが大声を上げて走り寄ってくれたことだろう。私ひとりだと思っていたクマは、そこで初めて敵が複数であることを知ったのである。
奇跡にも等しい無傷のまま、私は林道に這い上がった。しかしまだ、油断はならない。林道を後退してようすをみているうちに、ようやく身震いがやってきた。林道の山側で子グマの親を呼ぶ声が聞こえ、私たちへの恐怖から林道を横切れない親グマが、谷側で切なく鳴いた。その声を、私たちは降り続く雨とヤブカの猛襲に耐えながら、1時間以上も聞かされなければならなかった。
無傷だった私の幸運
クマの退散を待ちながら、私は1ヵ月前、月山の立谷川で遭った大グマを思い出していた。30mほど離れた沢向こうの台地でイタドリを夢中で食べていたクマは、明らかに300kgに迫ろうとするオスグマだった。山小屋の親父に聞かされていた月山の主は、おそらくあのクマではなかったか、と思わせるほどの巨大なクマだった。私たちの気配に気づいた大グマは、後ろも振り返らずに駆け出してヤブに消えた。
大イワナも大グマも、生き延びて巨大化するのには理由がある。繊細と臆病と大胆を併せ持ち、みずからの分限を知っているから無謀に走らないのである。山のケモノは山でしか暮らしてはならないのだ。
無傷だった私の幸運はまだあって、それは私が大きなザックを背負っていたことと、襲ってきたクマが体重60kgに満たない若い母グマだったことだ。あれがもっとでかいクマだったなら、そして私が何も背負っていなかったなら、はたして私は彼女の牙から逃げ切ることができただろうか。
クマなんて怖くねえや、と豪語してきた私だが、あらためてクマは怖い動物だった、と訂正しておく。しかしそれでもなお、あれは不幸な出会いだったと信じたい。
あのクマの親子は深い闇のなかで、無事に再会できただろうか。仔グマを育てるためとはいえ、人里近い林道に出てこなければならなかった小さな母グマの悲しみに、深く思いをめぐらしている私がいる。
(続き【第3回】「極限状態に達していた老人に、想像を絶する力でしがみつかれて……『入水自殺未遂!』《岩手・釜石漁港》」を読む)