「兄弟殺しが 三年目に発覚す 」
4月25日付朝刊各紙は一斉に事件を報じた。「一年半前世田ケ谷で 弟を殺した怪事暴露」「果然竹やぶの穴から 無残な死体発堀さる」(東京朝日=東朝)、「兄弟三人で入学準備中に 廿六の兄が十八の弟を殺す」(東京日日=東日)、「兄弟殺しが 三年目に発覚す 共謀で殺害後薮に埋む 行李詰事件の新獲物」(読売)……。社会面のほぼ半分をつぶした東朝が先行したようだ。
その記事によれば、長男藤郎は22歳で三男新三郎は19歳。二男省二郎は事件当時18歳だった。「藤郎は(昭和)4年4月、札幌に帰り、何食わぬ顔を装っていたものであるが」「24日午後4時、札幌署刑事が捕縛し、取り調べのうえ、同夜9時45分発急行で」2人が付き添い「警視庁に護送した」。この事件では各紙とも被害者、被疑者の名前や年齢に誤記が多くみられる。
朝日の記事にはほかにもいろいろなことが書かれている。富士郎が申し立てるところによれば、「昭和2年2月、札幌二中を4年で中途退学し、彫刻を勉強すべく上京。朝倉文夫氏の助手となり、城西学園に入学」した。「新三郎は南米移民の力行会に通学し、省二郎は城西学園に入学したところ、酒の上の失敗から退学を命ぜられたが、素行悪く、常に兄や弟とけんかを続けていた。事件は同年(昭和3年)11月ごろ、父から送ってきた為替を省二郎が兄弟の不在中費消したことから起こったものである。藤郎は最近、札幌で彫刻展覧会を開く計画をしていたが、27日横浜出帆の船でアメリカに高飛びすべく旅券下付を出願中だった」。
いくつかの資料によれば、富士郎は東京美術学校(現東京芸大)に入学したが、中学校の卒業証書を偽造していたのが分かり、退学させられたという。また「3人の父谷口氏は約50万円の資産を有するといわれているが、この50万円の財産から常に紛擾が絶えず、遂にこの惨事を起したものとみられている」とも書いている。当時の50万円は2017年換算で約9億6000万円。しかし、富士郎が省次郎を殺した動機は本当に金の問題だったのだろうか。4月26日付東朝夕刊2面トップの記事はその核心に触れている。
「けんかの絶え間なく、常に冷ややかな暗い家庭であった」
「弟殺しの富士郎に 更に怪奇な犯罪嫌疑 末弟新三郎の口から漏れた 二年迷宮の老婆殺し」(見出し)。新三郎の供述として、迷宮事件となっていた水谷はるの事件は「その犯人も富士郎で、その事実を省二郎が知っており、同人の口から他に漏れる危険があったので、富士郎は遂に彼を殺害したというのである」と書いた。さらに「省二郎は長兄が自分を狙っているのを常に苦に悩み『おれはどうせ兄貴に殺されるのだ』と前から言っていたというのである」とも。
同じ紙面には「冷たい家庭 父谷口氏は札幌で 人望のあるクリスチャン」の記事も。「捨次郎氏は明治32年、医師となり、眼科病院を経営し、札幌市では最も古く、かつ有力な病院であり、札幌市医師会副会長として人望あり、また信仰の堅いクリスチャンであるが、現夫人は後妻で、加害者たる長男富士郎と殺された二男省二郎、三男新三郎の母は一昨年死去したものである。ほかに二女一男あり、家庭は前夫人の死後、問題の兄弟3名の仲がとかく円満にいかぬので、けんかの絶え間なく、常に冷ややかな暗い家庭であったらしい」とある。
「兄をかばふ(う)ため 義侠的の病院生活」という記事では、「事件の真相につき本社の知り得たところでは」と前置きして、富士郎は自分の犯行を知る新三郎が邪魔になり、その処置を考えた結果、新三郎に「父の後妻は家の財産をいいようにするから何とかしなければ」とたきつけて継母を殴らせ、一方で「新三郎は不良で手がつけられない」と言って両親をだまし、東京少年審判所にも弟の不行跡を申し立てた。その結果、新三郎は「精神病者として取り扱われ」「松沢病院に入院させられたものである」。「新三郎はまだ19歳ではあるが、義侠的な意思の強い性格で、実兄のため全てを犠牲にして、自分も死に就こうとしていたものといわれ……」とも書いている。
富士郎は新三郎を東京・小笠原の感化院に連れ出し、途中の船上から海に突き落とそうとして果たせなかったことも判明した(4月26日付東日朝刊)。