岩手の11月の海、それも夜中
事態は緊急を要するほど深刻なようで、溺れている人は、水面から頭が出たり沈んだりを繰り返し、いつ海底へ沈んでもおかしくなさそうだった。
泳いで助けに行くにも、岩手の11月の海、それも夜中とあってはあまりにもハイリスクである。先生の的確な判断で、近くに係留してあったサッパ船で救助に向かうことにした。しかし2人とも、船外機の掛け方も分からなければ、操縦すらしたことがない。幸いなことに船に櫂が備え付けてあったので、櫂で漕ぎ出すことにした。僕と先生は大声を張り上げ、辺りに助けを求め、老人に向かって必死に声を掛け続けながら、少しずつ近づいていった。ちなみに、その老人のことを先生はお爺さんと思い込んでいたが、僕は1時間前に後ろを通り過ぎたお婆さんだと思っていた。
慣れない船漕ぎだったが、なんとか間に合った。懸命に大声を出し、老人に声を掛けながら、2人で力を合わせ、船に引き上げようとした。しかし、たっぷりと海水を吸い込んだ衣服を着た老人は想像以上に重く、しかも2人がかりで片舷から引き上げようとしたため、船のバランスが崩れ、次の瞬間、僕は暗い海中へと投げ出されてしまった……。
「あぁ、もうダメかもしれない」
海に落ちた僕は、それでも老人を船へ引き上げようと夢中で泳いで近づいた。しかし、これはよくない判断だった。というのも、極限状態に達していたと思われる老人に、想像を絶する力でしがみつかれてしまったからだ。水を吸った異常に重い老人にしがみつかれたことにより、僕は海面に顔を出すことはおろか、身体の自由が全く取れなくなってしまったのである。
なんとかもがくようにして無我夢中で海面に出た僕は、「お婆さん、船につかまって!」と叫んだが、死にかけた老人は言うことを聞いてくれない。そうこうするうちに、船との距離はふたたび広がる。どのくらい時間が経っただろうか。船の上から必死に声を掛け続ける先生の声も遠くに聞こえるようになった。
「あぁ、もうダメかもしれない。俺も死んじゃうなぁ……」