先生。川崎のヤング主婦2020代表、西澤です。光栄なことに、文春野球での先生との対戦も数えることこれで3回目。仏の顔的に言えばラストイヤー、仏の顔が清水健太郎であればあと5回くらいいけるでしょうか。
野球が始まればまた「優勝」と向き合わなければならない
新型コロナウイルスで、思いも寄らなかった「野球のない春」が過ぎていきます。去年の春のベイスターズは……10連敗して、私は毎日毎日ツイッターで『スナックかなしみ』を開店させては、「悲しけりゃここでお泣きよ〜涙ふくハンカチもあるし〜」と自ら泣きながら歌っていました。いけない、清水健太郎を一旦忘れます。
そうなんです。野球があれば、常にメンタルはベイスターズの動向に揺さぶられ、それにより家族は甚大な二次被害を受け、締め切りは滞り、家事は放置される。野球に全く興味のない夫が言うのです。「平和だ」と。先生、平和台ではないです。「野球がないと家が静かだ」「普通にテレビが観られる」「平和な春だ」と。
でも先生、「平和な春」なんてない。プラハの春だって最後なんか大変なことになったって聞いたし、春場所はだいたい荒れる。夫は「野球がなくて家が静かだな〜」と思ってるかもしれないけど、お前の妻のツイッターは大荒れだからな。すいません……先生もそうでしたね……。
このウイルスがこれからどのような影響を私たちにもたらし、そしてどのような終焉を迎えるのか。終焉などないのか、日常は戻ってくるのか、野球は戻ってくるのか。たくさんの「不安定」と「予測不能」を抱えながら、これから生きていかねばならないんだなということだけは分かります。ということは、アフターコロナにおいて、我々ベイスターズファン、そして誠に勝手ながらオリックスファンの方々ほど、その環境に適した種族もいないかもしれない。翼くんが「ボールは友達」なら、我々にとって「不安定」と「予測不能」もまた友達、ずっと付きまとってくる友達なのです。できれば先生と閃光雷獣シュートで蹴り飛ばしたい「友達」です。
しかしこの友「不安定」と「予測不能」が、安心と信頼の賜物である「優勝」を遠ざけているのも、また事実と言えます。優勝。優に勝と書いて優勝。ベイスターズは98年に日本一になって以来、本当の「優勝」はしたことがないのです。「横浜優勝」や「実質優勝」は常日頃あるのですが、それは「横浜流星」と同じ固有名詞にあたるので、除外します。早く野球が始まらないかなと願う一方で、野球が始まればまた「優勝」と向き合わなければならない。
なんなのでしょう優勝って。別に優勝なんかしなくても幸せに生きられるのに。優勝なんてものがあるから、采配を批判したくなったり、そのことでファン同士が諍い合ったり、我こそは正しいファンと主張し合ったり、「いやあのチームよりはマシ」と他チームを貶し始めたりするのではないでしょうか。プロ野球というユートピアで、楽しくボールを投げ、打ち、走り、それを見て楽しくビールを飲み、笑い、ファン同士が肩を組みながら帰っていく。優勝なんてものがなければ、思考は停止される。この世はこんなにもポジティブに輝いている。