文春オンライン

真っ暗な夜と、顔を知らない隣人と――村田沙耶香の「パンデミックな日々、日本にて」#4

2020/05/08
note

 夜の11時、4日ぶりにマンションの外へ出た。冷蔵庫の食料がなくなってしまったし、ヨーグルトも食べたかった。家のそばにはコンビニが三軒あるが、新型コロナの影響で24時間営業ではなくなっている店も多い。開いていることを願いながら、一番近い店へ、とりあえず走った。

 夜が暗い、と気が付いた。朝までやっていた居酒屋やラーメン屋のシャッターが下りている。この時間の道路はいつもタクシーの光であふれていたが、今はそれもほとんどなく真っ暗だ。自分が、東京の夜を、自然と眩しいものだと思っていたことを知る。光が極端に減った夜は不思議な感じがする。

 そういえば、最近、マンションにたくさん人がいる気配がするのも、以前と違って、奇妙な感覚だ。私の住んでいるマンションは一人暮らしの人が多いようだが、ほとんど顔を合わせることはなく、隣の人が男性か女性かもわからない。皆、帰宅が遅いようで、夜の11時はエレベーターが珍しくよく動いている時間でもあった。コロナコロナ禍になる前は昼間に管理人さん以外の人を見たことはほとんどなかった。けれど、今は、ベランダに出ると物音がし、隣から微かに音楽が聞こえ、24時間人の気配を感じる。マンションのWi-Fiは混んでいて接続が悪いときがある。

ADVERTISEMENT

©iStock

 夜道ですれ違う人が、ちらりとこちらを見る。私は、自分がちゃんと必要な買い物がある人に見えているか不安になる。日本では「自粛警察」という言葉が流行っている。営業をしている店に張り紙がされたり、他の県のナンバーの自動車が嫌がらせをされた、というニュースを見ると、人間の目のほうが怖い気がしてくる。

 家に帰ってシャワーを浴び、仕事をしていると、2時近く、スマートフォンから突然サイレンのような音がした。緊急地震速報だ。震災のときから、この音は私を驚かせ、怯えさせる。次の瞬間、マンションが揺れるのを感じた。昨日も地震があったが、それより大きい。不安なまま、じっと収まるのを待つ。

 少しの地震には慣れているつもりだが、新型コロナの状況の中でもし震災が起きたら、と考えると恐ろしい。スマートフォンを開くと、Twitterのトレンドに地震に関する言葉が並んでいた。最大震度4、地震大丈夫、心臓バクバク、地震多すぎ。マンションの中に同じ不安を抱えた人がびっしり詰まっているはずなのに、私はインターネットの知らない人の言葉に安心している。

 上の階から足音が聞こえる。地震で目を覚ましてしまったのかもしれない。顔を知らない人の気配に囲まれたまま、もう地震がないよう願いつつ、ベッドに入る。窓の外は、まだまだ暗い。

※こちらのコラムは南ドイツ新聞に寄稿したものです。

 
村田沙耶香 ©文藝春秋

村田沙耶香
小説家。1979年、千葉県生まれ。玉川大学文学部卒業。2003年「授乳」が第46回群像新人文学賞優秀作となりデビュー。09年『ギンイロノウタ』で第31回野間文芸新人賞受賞。13年『しろいろの街の、その骨の体温の』で第26回三島由紀夫賞受賞。16年『コンビニ人間』で第155回芥川龍之介賞受賞。著書に『マウス』『星が吸う水』『生命式』『タダイマトビラ』『殺人出産』『消滅世界』などがある。

真っ暗な夜と、顔を知らない隣人と――村田沙耶香の「パンデミックな日々、日本にて」#4

X(旧Twitter)をフォローして最新記事をいち早く読もう

文春オンラインをフォロー