文春オンライン

「自粛警察」になってしまう人たちの心理とは

なぜ「普通の人」が正義を暴走させるのか

2020/05/12

genre : ニュース, 社会

note

「不公正感受性」や「モラル正当化効果」

 では、普通の人たちが正義を暴走させるのはなぜか。彼らはおそらく要請に従って“自粛”し、自宅でじっと巣ごもりし“我慢”している人たちだ。不平不満に不公正感、先行き不安に感染への不安、我慢も限界に近くなりストレスは積もるばかり。なのに発散するための手立ても、解消するための方法も見つからない。

 これら自粛によるストレスで「不公正感受性」が敏感になった可能性もある。すると相手の状況や言い分などに関係なく、不公正に対し直感的、感覚的に反応してしまう。否定的感情を抱き、いつもより攻撃的な反応を起こしやすくなる。否定的感情も溜まりきったストレスも、吐け口を求めているのだ。

写真はイメージです ©iStock.com

 同時に自分たちは我慢している、我慢しているからこそ、利己的な人たちの行動が許せなくなってくることもある。人は結果的に自分が不利益を被っても公平性を切望し、自分勝手と思う人たちを罰したいという欲求を持っているからだ。

ADVERTISEMENT

「モラル正当化効果」が働いた側面もあるかもしれない。自粛というモラルに適った「善い行い」をしたと思った後は、「少しぐらいなら気を緩めてもいい」、「モラルに欠けても許される」という気になって、普段だったらやらない行為をしてしまいやすくなるといわれている。

「後悔をしていただくようなことになればいい」

 彼らの歪んだ正義を後押ししたものは何だろう。自粛警察の動きはGW前、先月下旬から多く見られるようになった。各自治体の首長らは、県外からの帰省客や旅行客の流入を防止するため「今は来ないで」と発言し、「社会的ジレンマ」に危機感を募らせていた頃だ。社会的ジレンマとは、個人が利己的に動き利益を追求することで、集団の利益の損失を招くという状況のことをいう。呼びかけるだけで法的には何もできない首長らに代り、利己的に行動する人々を罰してやろうという自粛警察の正義感が反応したのではないだろうか。

「声をかけられた人がまずいところに来てしまったな、と後悔をしていただくようなことになればいいと思っています」

写真はイメージです ©iStock.com

 中でも4月24日の記者会見で、岡山県の伊原木隆太知事が述べた発言はインパクトが強かった。GWに高速道路のパーキングエリアで、職員らが県外ナンバーの車に乗った人などに検温を行うと発表。“後悔”という言葉を使ったため、罰や制裁的な意味合いが強くなったのだ。苦情が殺到し、結局実施されなかったが、オフィシャルな動きによって自粛警察が正義感を振りかざすことを正しいと思わせた感は否めない。

 自粛要請に応じず営業するパチンコ店の名前を知事らが公表するという動きも、自粛警察の正義感を後押しする。特別措置法第45条では、休業要請の指示に従わずとも、行政がペナルティを科すことはできない。社会的に共有された新しいルールに反する者に対する怒りや憤りは、彼らの正義感をポジティブに活性化し、世を乱す者に制裁的攻撃を与える傾向を強めさせる。

写真はイメージです ©iStock.com

 緊急事態宣言を出した後も政府の対応は遅く、その判断はお世辞にも公正とはいえないが、国民には自粛と行動変容を求めている。皮肉なことに、自粛警察が蠢きだし活発化したのも、一種の行動変容なのかもしれない。

「自粛警察」になってしまう人たちの心理とは

X(旧Twitter)をフォローして最新記事をいち早く読もう

文春オンラインをフォロー