「ジャパゆきさん」は、1983年頃に流行語となった、アジア各国から日本に働きにやってくる女性たちを指す造語だ。ジャパゆきさんとして来日してきた彼女たちの多くは、劣悪な環境での労働を強いられた。現在となっては珍しくない存在になりつつあるが、当時日本人男性との間に生まれたハーフの子供たちも、ジャパゆきさん同様に一筋縄ではいかない人生を送ってきただろう。
その実態に、山田孝之氏主演のNetflixドラマ『全裸監督』の原作者として知られる本橋信宏氏が迫った。
独特の出自を持つ彼ら彼女らは、どのような半生を送ってきたのか。日本社会への適応を探り、懸命に生きる子供たちを追う渾身のルポ『ハーフの子供たち』(角川新書)より、ロックシンガー“レイン”が、歌手を目指すようになってからの日々を引用して紹介する。
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もしもそのときその人と出会っていなかったら、まったく違った人生を歩んでいた。
それを「運」と言うのかもしれない。
親友との出会いをきっかけに
「キャバクラで、1人の女の子に出会うんですよ。親友なんですけど、その子がいまはプロのカメラマンさんなんですね。最初はキャバクラでバイトしてて、アメリカンスクールに行ってた子なんです。日本語より英語のほうが得意で、彼女がわたしのこと信用してくれて、わたしの言うことしか聞いてくれなかったんですよ。
普通は店長さんに何か言われたら、“わかりました。すいません”ってなるじゃないですか。彼女は、“いや、そうじゃない”ってはっきりしてるんです。その子がきっかけで、歌手をするようになったんです。そう、わたしが歌手になったのもその子との出会いがきっかけです」
それまでは歌手の「か」の字もなかったレインに歌手という職業が現実化する。
「歌はたまにカラオケで歌うみたいな、そんな程度でした。そのキャバクラでもよく歌わされてて、お客さんから“じゃあ、歌ったら、延長するよ”とか、“じゃあ、延長するから、歌って”みたいなこと言われてちょこちょこ歌わされてて、その親友の子がわたしの歌を聴いてたんですね。
ある日、“あなたはここにいちゃだめだよ。歌、がんばったほうがいいよ”って言われたんです。その後もことあるごとに、“歌でがんばったほうがいいよ”って言うんだけど、なかなか踏み出せなくて、会社も厳しかったからなかなか辞められない。固定の給料もらっちゃうと、新しい仕事に就くのが賭けになるじゃないですか」
レインがもらっていた給料は25万円。長時間労働を考えたらさほど高い額ではない。役職につけたら給料は上がるのだが、女性だからということで上がらない。キャバクラの裏方は男社会なのだ。
レインの仕事着はスーツだった。
ショートカットに身のこなし方も爽快感があり、男装の麗人風であった。
「中学のとき制服がスカートで仕方なくはいてました。子供のときは腰くらいまで髪があったんです。お母さんの趣味で。もう嫌で嫌でしょうがなかったですね。ショートがよかったです。ショートにしたのは中学校入って、1回肩くらいまで切って、お母さんがあんまりびっくりしないように、徐々に徐々に短くして。やっぱりフィリピンはロングヘアの黒髪がモテるイメージがありますね」
キャバクラでレインは独自の地位を占めるようになる。女子ゆえにキャバクラ嬢たちの信頼も得やすい。