二昔前までは、ミュージシャンといえば酒とドラッグと女、というイメージが強く、実際にそんなバンドはアマチュアにもプロにもよくいたものだ。
ところがいまではミュージシャンというと、健康志向、ぶよぶよした肉体でステージに立つのは一番みっともないとされている。
レインも不規則な生活で体形が崩れかけたときがあったが、ジムに通い出し筋肉質のカラダに変身した。
「やっぱり健康なほうが気持ちよく歌えるんですよね。パワーも出すし、腹筋も使うんで。ライブなんかやっちゃったら1時間半は歌いっぱなしじゃないですか。体力も必要だし」
今日のインタビュー場所にレインは真っ赤なレクサスのオープンカーで駆けつけた。
レインによく似合っている。
「最初の(自動車)運転免許が大分前にフィリピンでとったインターナショナルの免許だったので、また日本の免許を取り直したんです。3人目のお父さん、フィリピン人のお父さんが教えてくれたんですよ。日本の教習所って厳しいですよ。フィリピンでは1日か2日で取れちゃう」
義父をライブハウスに招待すると……
3人目の義父はレインを実の子のようにかわいがり、運転免許を取るときでも勉強をするときでも、親身になって世話をしてくれた。
そんな義父のために、レインは六本木のあのライブハウスに招待したのだった。
50代後半の義父はレインのステージを以前から観たがっていたのだから、これも義父孝行だろう。
ライブがはじまった。
光線に彩られ、大音響と共にステージにレインが登場。
歓声が巻き起こる。
客席は総立ちとなり、その中にレインの三番目の父もいた。
店内は熱気に包まれ、レインは歌う。
少しずつ夢に近づいていく自分を実感しながら、義父に晴れの舞台を見せられたことがうれしかった。
ライブは成功だった。
義父は店を出て帰路に就いた。
不幸は突然襲ってきた。
「1年まだたってないです。帰り道でお義父さん、発作で倒れたんです。心筋梗塞」
あっけない最期だった。
最初の実父はレインが幼いころに姿を消し、二番目の父はギャンブルにハマったことを思えば、三番目の父こそレインにとって相性のいい人物だったであろう。いい人は長生きしない、という言い伝えはこの場合、当たっていた。
「フィリピンの人って、油もの好きなんですよ。お義父さんは特に甘いものが大好きでした。甘いものなら妹のものだろうが、食ってましたね。中性脂肪が増えてあんまり運動しなかった」
レインは結成して間もない新バンド・RYSMで命日に同じステージに立って、亡き父への供養とするのだった。