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学校という“小さな社会”を描き出したドラマだった

『野ブタ。』は、転校するなりいじめられ始めた信子(堀北真希)を修二(亀梨和也)と彰(山下智久)がクラスの人気者にプロデュースしていく話である。男性が女性をプロデュースする……という作品の骨子だけ聞くと、ファッションやメイクなどで容姿を改造したり、自分より美しいライバルを倒したりする痛快な話のようにも聞こえるが『野ブタ。』は違う。そのセリフや描写には、常に寂しさがつきまとうのだ。

 ポップな名台詞のように聞こえる「野ブタパワー注入!」でさえ、明るいとは言い難い。そもそも最初は、いじめっ子に対峙する直前に怯みそうになった信子がひとりで行う儀式であり、むしろ悲しさが漂う。 

『野ブタ。』の脚本を担当した木皿泉は、脚本執筆中を「泣けて泣けてしかたがなかった」と振り返る。

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「教室にいる子どもたちはみんな寂しいなあと思えてきて」「殺伐とした場所に、みんな背負いきれないものを背負いながら、友達はいっぱいいても信じることができる人は少なくて、必死に立っているんだなぁと思ったら、泣けました」(『木皿食堂』より)

『野ブタ。』で一気にブレイクを果たした堀北真希(2006年ごろ)©文藝春秋

 2005年放送当時19歳で山下智久と同じ1985年生まれだった筆者は、このドラマに描かれているイジメをリアルさをもって見つめていた。だが、30代も半ばに差しかかった今、このドラマに暗さを感じる理由は「イジメがリアルだから」といった単純なものだけではない。おそらく、「主人公たちが生き抜く学校という“小さな社会”が、大人の社会と何ら変わらない息苦しさをまとっている」ということがより実感できるからではないかと思う。

 そう、『野ブタ。』は学園モノではあるが、社会の話なのである。

 主人公・修二の視点でいうと、第6話までの『野ブタ。』は、「コミュニケーション能力を駆使して、スクールカースト制度の中をうまく生き抜く話」でもある。登場人物たちが生き抜くのは学校という社会だ。そこには大人の社会のように序列も存在する。スクールカーストという言葉はなかった2005年に、木皿泉の想像力をもって紡ぎ出された登場人物やセリフはリアルで、“確実に存在していたけれど、言葉にはされていなかったもの”を確かに描いてくれていた。