どこからともなくサイレンが聞こえてくると、2歳半の息子は、お気に入りのプラレールで遊んでいようとも、大好きなEテレの番組を見ていようとも、すべてを放り出して俺の手を掴んで窓めがけてぶっ飛んでいく。

 鼻をガラスに押し付け、点滅する回転灯を見つけると「救急車だ!」と叫び、「なに、運んでんだろねー?」と訊いてくる。救急車が通るたびに、このやりとりを繰り返す。

 息子はワクワクしているが、俺はいつもドキドキする。抗がん剤の副作用で倒れた妻が救急車で運ばれた場面が脳裏に蘇るからだ。そして、まだがんの寛解していない妻が再び運ばれたらとイヤ~な想像をしてしまうのだ。

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トミカの救急車を両手に持って愛でる息子。最近はサイレンが鳴らずとも、この2台を俺に突きつけて「なに、運んでんだろねー?」と訊いてドキドキさせる。

妻は「大腸がん」経過観察1年半の身

 妻は35歳の時に大腸がんが見つかった。ステージ3の診断を受けて2018年末に手術、2019年1月から半年間の抗がん剤治療を経て、現在は経過観察1年半の身だ。

 もう二度とがんはゴメンである。誰だってそうだろうが、いかなる大病もご勘弁願いたい。しかし、がんを含めて病気は“なるかもしれないではなく、なるもの”なのだ。

「35歳でがんはありえないでしょ」とか「自分や家族はがんとは無縁なのだ」とか、よくわからない思い込みを抱いていたばかりに相当な“がんフラグ”が立っているのに気づかず、エライ目に遭ったことで得た教訓だ。よって俺と妻は、記憶にない体の異変を感じたらすぐに対処するようになった。

筆者(左)と妻の小泉なつみ(ライター)。手術前に夫婦で記念撮影。

 去年の12月、俺の咳が止まらなくなった。寝ていても咳き込んで何度も起きてしまう記憶にないレベルだったので、「もしや、肺がん、食道がん、咽頭がん? がんじゃなくても結核か肺炎では……」と慄いた。慌てて、近所の病院に行くと咳止めを処方されるだけ。それを飲んでいる間は収まっていたが、切れると再び激しく咳き込むので「もしや、喘息か?」と新たな病の候補が浮上。これの少し前に電車で青白い顔をしてゴゥホッゴゥホッと咳き込む青年を見掛けて「大丈夫?」と声を掛けたら、「喘息の薬が切れてしまって……」と返されたのを思い出してドキリとする。そこへ、がん発覚前に発熱、貧血、結膜炎でボロボロになって、「わたし、どうしちゃったんだろうなぁ……」と消え入りそうな声で呟く妻の姿、腫瘍の摘出手術に向かう姿、救急車で運ばれる姿も一気にフラッシュバックしてヒヤリとする。