東南アジア屈指の大都市、タイの首都・バンコク。
仏教への信仰が厚いこの地には、日本とゆかりの深い施設も点在している。
80年以上の歴史がある、日本人納骨堂もそのひとつで、堂内の一角にいつ誰が描いたのかもわからない肖像画がある。
肖像画に描かれる男性の正体は、バンコクで終戦を迎えた元日本陸軍参謀・辻政信氏。
戦時中、幾多の激戦地で活躍し、“作戦の神様”と評される一方で悪評も絶えない。「無謀な作戦で多くの犠牲を出した」「現場の指揮官に自殺を強要した」などと、耳を疑うものばかりだ。
さらにシンガポールでは反日ゲリラ活動を防ぐためとして、数千人の虐殺を指揮したとされている。
昭和の歴史を綴った作家たちは、「地獄からの使者」「絶対悪」などと辻氏をこき下ろした。
その辻氏は戦後に突然行方をくらませ、アジア各国に潜伏し、戦犯としての追及を逃れる。
再び世に出た辻氏は国会議員になり、防衛力の強化を訴え、“第三次大戦を起こしかねない男”と噂された。そして最後は、出張先の東南アジアで失踪。多くの謎を残したまま、人知れずこの世を去った。
激動の時代に、非難と脚光を浴びながら生きた男。その姿は今を生きる人々にどう映るのか。前編では、辻氏の戦時中の活躍と、戦後の海外での潜行生活を追う。
親戚から見た辻政信とは…
辻氏の地元・石川県で文房具店を営む、おいの辻政晴さんが取材に応じてくれた。
「中佐(政信)が、ノモンハン事件の一番上に立って、『お前、これやれ』って言えるわけがないです。板垣征四郎とか、大将や中将が指揮官だった。本来、指揮官が一番悪いっちゃ悪い」と話す政晴さん。
政晴さんの妻・美惠子さんは「一回だけ知り合いから、『悪魔ってわかっている政信さんの親戚の家ってわかって嫁に行ったのか』と言われて。正直、あんまり詳しく知らなかった。親は当然知っていたと思うんだけど」と当時を振り返った。
政晴さんの長男・克憲さんは、こう語る。
「小さい頃は、祖父や祖母に『国のために頑張った方なんや』と言われて、それだけを信じて成長してきたんですけど、大きくなったら良いのか悪いのか、いろんな情報が入ってくる。そこで自分なりに『政信さんにもひょっとしたら、こういう面があったのか』みたいなことも感じ取ったんです。