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“神か悪魔か…”さまざまな証言に見る元陸軍参謀・辻政信の「生への執着」

「自分の利益、自利のためでさえなければ、この生を選ぶことは天地に恥ずるものでない」(手記より)

毅さんは、手記を見ながら「(父は)自殺も考えたんです。責任をとるならそれでもいいんですけど、日本のために、陛下のために働きはできないかという一心から、蔣介石をはじめとする政府とうまくやっていけるような対策を取ろうと。その間の経緯がずっと書いてあります。潜行中どういう形で中国との折衝、あるいはいろんな対応に臨んでいったか、書かれております」と話す。

 

一方、元帝京大学教授の戸部さんの分析は違う。

「中国に協力するために重慶に行こうと考えたというんですが、2通り考え方があります。辻さんの言ったことをそのまま受け取る考え方と、イギリスの戦犯追及から逃れるためだという考え方。

私は“戦犯追及から逃れる”という動機の方が大きかったんではないかなと思います。

シンガポール攻略の立役者で、それに付随する忌まわしい事件の責任者という捉え方もありましたので、当然ながらイギリス側としては問題視したでしょうし、復讐心があって当然です。

軍人であれば当然ながら、(辻は)本能的にやられるな、と思ったでしょう。逃れようとしたのは、それなりに合理的な判断だったかもしれません。本来、軍人としては責任を取るべきですから、逃げるのはまかりならん、軍人らしくないという批判は当然ありえたでしょうね」

中国での内戦が激化し始めた1948年、辻氏は日本への帰国を決意。約6年ぶりに祖国の地を踏んだ。

 

しかし、それは再び戦犯として追われる身になることを意味していた。当時、日本では警察やイギリスなど連合国側の憲兵が辻氏の帰国に備えて張り込みを行っていた。

一度は東京に戻るものの、追手の多さを悟った辻氏は、かつての部下に案内され、兵庫県の山あいに身を隠す。

後編では、この後潜伏をやめ国会議員への道を進む辻氏の姿を追っていく。

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