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“神か悪魔か…”さまざまな証言に見る元陸軍参謀・辻政信の「生への執着」

なんらかの意味で、当時の価値というものに合致しているんですが、それは陸軍の中で通用する価値であって、一般社会や普遍的な価値にそのまま合致したとは思われない。でも、誰もそれを止めることはできなかったんでしょうね」

ノモンハン事件での失敗で辻は一度左遷されるが、その後、マレー半島やシンガポールへの進撃に参加。今度は一転“作戦の神様”として評価された。

辻の逃亡生活の始まり

太平洋戦争の開戦後、日本軍は欧米の植民地だった東南アジアの大部分や、太平洋の島々を制圧。しかし、アメリカやイギリスの逆襲を受け、勢力は一気に縮小する。

 

そして、1945年8月15日の終戦時、バンコクに赴任していた辻氏は、シンガポール華僑静粛事件などに関わったとして、イギリスから目の敵にされた。

戦犯として捕まるのはもはや時間の問題だったが、辻氏は奇策に出る。僧侶出身の部下7人と留学僧に扮し、バンコクで身を潜めると決めたのだ。

その部下のひとり、矢神邦雄さんは今でも、当時着ていた僧衣を大切に保管している。

 

「佐々木教悟という、留学生の坊さんがバンコクのワットスタットという寺にいて。その人を呼びつけて、辻政信が『俺を弟子にせよ』と言ったらしい。『そんな偉い方を坊主にできません』と言ったら『それなら納骨堂に入る手続きをとってくれ』って。それで私らに『(一緒にタイの)坊主にならんか?』と聞かれた」

終戦から2日後、辻氏はバンコク市内の寺にある日本人納骨堂へ。イギリスの追及から逃れるため、「遺書を残して死んだことにしてほしい」と上官に依頼。靑木憲信を名乗る僧侶に身分を変えて逃亡生活を始めた。

「生きること」への強い執着

 

“前代未聞の逃亡者”のルーツをたどっていく。

1902年、石川県旧東谷奥村、現在の加賀市で生まれた。家は貧しく、小学校を出た後は家業の炭焼きを継ぐはずだった。

しかし、頭脳明晰な辻氏は、教師に勧められ、1917年に名古屋陸軍地方幼年学校に入学。1931年には軍のエリートを養成する陸軍大学校を優秀な成績で卒業し、数々の激戦に関わった。