戦時中、陸軍参謀として前線に出ていた辻政信氏。
“作戦の神様”とも呼ばれ、多くの戦地で活躍したとされる辻氏だが、一方で悪評も絶えず、“悪魔”と呼ばれる面もあった。
真逆の評価をまとう男は、どんな素顔だったのか?激動の時代に、非難と脚光を浴びながら生きた男の姿は、今を生きる人々にどう映るのか。
前編では辻氏の戦時中の活躍と、戦後の海外での潜行生活に迫った。後編では、辻氏の国内での潜行生活と、国会議員となってからの歩みを追う。
祖国でも引き続き潜伏生活を余儀なくされる
1948年に日本へと帰国を決めた辻氏だが、一度は東京に戻るも、追手の多さを悟り、かつての部下に案内され兵庫県豊岡市三原地区へとやってきた。
「誰も住んでいない古い寺を貸してほしい」と訪ねてきたのは、大学教授・本田正儀を名乗る辻氏だった。
当時、辻氏に直接会った住民・谷岡善一さんは今も健在だ。「(大学教授の本田を名乗る辻が)家にお願いに見えて。(寺で)本を書きたい、執筆したいということで、部落の総会もして『よかろう』ということはありました」と当時を振り返る。
寺は2007年に建て替えられたが、広々としたつくりは以前とほぼ同じだ。
教授に扮した辻は、ここでいつしか身につけた僧侶の務めを行っていた。
「朝晩のお経の務めをしなさった。無住の寺ですから、木魚を叩く音が10年もないわけです。それが朝晩の勤めをしはった。『ああ、木魚をたたいてもらえる』『鐘の音がする』って(地区の)年寄りも尊敬して。それから駐在さん(警察)も寄っているんです。駐在さんも世間話をして、(辻と知らずに)何も言わんで帰しとるんです。そこらへんは、今思えば我々では想像できん度胸ですね」(谷岡さん)
晴れた日には、近くの小川で釣りを楽しみ、質素ながらも豊かな生活を送っていたが、それも長くは続かなかった。
「息子さん(辻の長男)が、豊岡までの切符を買って(父に会いに来た)。豊岡までの切符を買ったことで足がついちゃった。辻が豊岡の周辺におるということが東京の方にばれた。本当に気を許して4カ月おられたと思うんです。息子さんさえ来られなかったら、もっとおられたと思うんです」(谷岡さん)