無所属の辻氏は、池田首相と連絡を取っていたのだろうか。
藤さんは「池田さんと直接(連絡を取ること)もありますけど、伊藤さんもずっと手伝いをしていた」と話す。
辻氏はなぜ失踪したのか…さまざまな憶測が飛び交った。
辻氏の行方を知る手がかりを当時、ラオスで兵士の指導をしていた赤坂勝美さんがこう証言している。
「私の教え子(ラオス人兵士)の話によると、ちょうど辻先生がビエンチャン(ラオスの首都)をたってから約1年後に、先生がジャール平原のカンカイというところに現れて、当時の政府が先生を軟禁というか監禁というか、どこかにとどめておいて、いろいろ調べた結果、おそらくその兵隊の言うには、先生がスパイだと疑われたんじゃないかと。彼は上官に命じられて3人で先生をジャール平原の一角で銃殺した、と」
しかし、辻氏の行方をめぐっては、他にも有力な説がある。アメリカが2005年に公開した辻氏に関する文書の中に、中国語で書かれた差出人不明の手紙が入っていた。
ラオス訪問から1年半後、辻氏は中国で生きているという内容だ。
この文書を研究した早稲田大学の有馬哲夫教授は、辻氏がラオスで銃殺された可能性は低いと話す。
「彼はあの(内閣官房長官・副総理などを歴任した)緒方竹虎や、(第52~54代総理、自民党初代総裁)鳩山一郎らの軍事顧問で、いろんなアドバイスをしていたんです。自衛隊が何人ぐらいの規模で、どういった装備が必要なのか、というのを考えなければいけないわけです。
ソ連がもう一度戦争する気があるのか、その場合に戦力にどのぐらい割けるのか、中国はどうか。日本列島に兵員輸送できるのか、潜在敵国になり得るのか、アジアの情勢はどうか。
辻は意識していないんですけども、辻が与えたそういった情報はアメリカにも流れていて、アメリカは非常に評価していた。ですから、アメリカから見ると大物スパイになってしまうわけですよね。
アメリカと敵対した中国から見ると、ベトナム戦争も近いので、ここに入っていろんな情報を辻に発信してほしくないということで、前からマークしていた辻がいよいよ中国の勢力圏・ラオスに入ってくる。