1998年にベナン人の父親と日本人の母親の間に生まれた八村選手。中学3年生のときにはすでに身長は190センチあり、足のサイズは30センチ。当時からスケールが大きかった。
そんな八村選手の規格外伝説は「球が速すぎて野球を辞めた」こと。
もともと野球をしていた八村選手。田村さんいわく、八村選手の祖父が野球好きで「塁」という名前に。小学校高学年ですでに170センチあり、投げる球が速すぎて捕れるキャッチャーがいないことからキャッチャーになった。しかし、今度は成長痛でヒザが痛くなり、キャッチャーの動作ができなくなったため、仕方なく野球を辞めたという。
そんな八村選手がバスケと出会ったのは中学時代の恩師のおかげだった。
中学生になった八村選手は、その恵まれた体格ゆえ、さまざまな部活からオファーが殺到し、バスケ部のコーチ・坂本穣治さんも狙っていた。しかし、八村選手が放課後に通っていたのはまさかのゲームセンター。
当時の様子を同じ中学の先輩でバスケ部キャプテン、日本代表としても活躍する馬場雄大選手は、八村選手とのインスタライブで「ヤンキーにお前を引っ張られないように頑張った。俺がお前を助けなかったらNBA選手になれなかった」と明かした。
そして馬場選手はバスケ部に入るように説得したというが、八村選手は「バスケなんか全然やる気なかった。もうスポーツなんかいいや(と思っていた)」と振り返る。
そんな中、坂本コーチは部員にお小遣いを渡し、「アイスクリームでも何でも八村の欲しがるものをごちそうして1回でもいいから連れてきな」と促した結果、練習に参加することになり、バスケ部に入部したという。
しかし、最初はほかの同級生よりも下手で坂本コーチは「どこに立っているか分からない、くるくる迷子になっていた」と明かす。
そこで坂本コーチは八村選手が膝を曲げて腰を落としたときの形がNBA選手のように見えたことから、「NBA選手になれるんじゃないか」と言葉を掛けたという。
この言葉を信じ、NBA選手を目指した八村選手は、中学3年生になると見違えるほどに成長し、エースとしてチームを全国大会準優勝に導いた。