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 その説明書きによると、花月園は大正時代にこの駅の近くにできた遊園地。駅もそのアクセスのために設けられたものだ。一時期は大いに賑わったが、徐々に衰退して戦後直後の1946年に閉園したという。それからもずっと花月園前駅の名を貫いてきたのだなあ……。

花月総持寺駅。10年前と駅の雰囲気は変わっていなかった
構内の壁面に鮮やかな花柄の壁紙が……これは10年前と変わっていた

「なるほど遊園地の名前だったのか……」と説明板をまじまじと眺めていると、地元のおじいさんが「嘘だよ嘘、競輪場だよ」と突然言い放って改札口を通っていった。ちょっと呆気に取られつつ調べると、確かに花月園が閉園してから4年後の1950年、跡地に花月園競輪場がオープンしている。この駅が遊園地の玄関口だった時代は戦前から戦後直後まで、それからあとは長らく競輪場の玄関口だったのだ。以前訪れた時に感じた“下町的な”雰囲気はそうした環境に由来するものだったのだろう。

 ただし、花月園競輪場も赤字を抱えて2010年に閉場。それからは集客施設もなく、ごく普通の住宅地の駅となった。すでに花月園の名を持つ施設が消えてから10年。「花月園っていったいなんなの?」と疑問を抱かれることも増えただろう。とうに廃止された競輪場のイメージがついて回っては、都合が悪いという向きがあったのかもしれない。で、総持寺というこれまた近くの古刹の名をいただいて、セットにして花月総持寺駅に生まれ変わったのだ。

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その昔、訪れたさいに撮影した「花月園前駅」時代の写真
今回撮影した写真。雰囲気が変わっていないことがお分かりいただけるだろう

ちなみに……京急にはかつて「総持寺駅」があった

 ちなみに、かつて京急には京急鶴見~花月園前間に総持寺という駅があった。1944年に廃止されてしまったが、そうした歴史にも敬意を評した改称なのだろうか。さらに、総持寺という名の寺は全国各地に点在、大阪府茨木市の総持寺の近くには阪急京都線の総持寺駅、JR京都線(東海道線)のJR総持寺駅がある。

 花月総持寺駅、古くは花月園前駅の“下町的な”雰囲気。それは、駅の少し東側を通る国道15号(第一京浜)とそのさらに東側の工業地帯の雰囲気も影響しているような気がする。くだんの鶴見線国道駅、戦時中の機銃掃射の跡も残る歴史的な駅なのだが、そちらも似たような雰囲気を濃厚に残しているのだ。そして、そうした空気を生み出している町の中にあるのが最後の目的地、「大師橋駅」である。