そこで産業道路駅前後の区間の地下化工事が行われ、2019年春に線路は地下に潜った。今でも現地には産業道路にあった踏切の名残が確認できる。そして、この地下化から1年後の今年春に駅名が産業道路駅から大師橋駅へと変わったのだ。
地下のホームからまだ工事中の駅舎内をすり抜けて小さな駅舎の改札を出るとすぐ目の前には産業道路。その頭上には首都高速道路が走っている。とうぜんたくさんのクルマが行き交っており、いかにも工業地帯らしい雰囲気が漂う。すぐ近くには大師河原の交差点があり、そこからさらに北に行けば多摩川を渡る大師橋。この橋の名から新しい駅名を頂いたのだから、とりたてて不自然なところはないし、イメージで言えば川崎大師が思い浮かぶ大師橋のほうがいいのだろう。産業道路はいくぶん無骨で埃臭い。でも、お祭りでもないのに駅前にたこ焼きの屋台がある終点の小島新田駅ともども、その埃臭さが大師線らしさでもあり、魅力でもあると思うのだがどうだろう。
京急大師線の終着駅「小島新田駅」にも行ってみた
小島新田駅にもついでに足を伸ばすと、ちょうど夕刻だったこともあってたくさんの人が駅に向かってやってきた。きっと近隣の工場で働き、これから帰宅する人たちなのだろう。時節柄か飲みにいくような人はいなかったが、駅の近くには昔ながらの立ち飲み屋がいくつか。その手前の産業道路駅、実にイメージ通りのいい駅名だったのだと改めて思った。
それでも時代は変わる。工場で働く人と言っても昔のように埃と油に塗れてというイメージは今やなく、工場の移転を受けて沿線の再開発も進む。大師線の車窓からは真新しいマンションがいくつもあるのが見える。町のイメージの変貌に駅のイメージも変わりゆく。他の3駅、さらに京急以外の改称駅に広げても、駅名の変更が先に立つようなことはあまりない。駅周辺の再開発や雰囲気が変わってゆくのにあとから駅が追いついて駅名が変わることのほうが多い。目下工事中の大師橋駅には、いつかきっと新しくて立派な駅舎ができるのだろう。京急大師線の無骨なイメージは、今まさに変わりゆく最中なのである。
(【前回】「逗子・葉山駅」から葉山まで、じっさい何分かかる? 京急電鉄の新駅名4駅に行ってみた を読む)
写真=鼠入昌史