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「タイトル戦の雰囲気に慣れることも大事です」

――25歳差というと、中原先生と大山康晴十五世名人の年齢差(24歳差)に近いですね。

「ええ。大山先生もやりにくかったと思いますよ。大山先生との初手合いがやはり棋聖戦でしたが、その時に勝てたのはうれしかったですね」

1971年、大山康晴王将に挑んだ中原誠二冠(当時) ©文藝春秋

――第11期棋聖戦(1967年)の話ですね。トーナメントの準決勝で中原先生が大山十五世名人に勝ち、大山十五世名人のタイトル戦番勝負連続出場記録を50期で止めた一局でした。その後の決勝では板谷進九段に勝ち、中原先生のタイトル初挑戦が決まりました。当時のタイトル挑戦最年少記録だった加藤一二三九段の20歳3ヵ月13日とはわずか4日差で、記録更新には至りませんでした。

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「当時は年齢に関しては話題になりませんでしたね。ただ五段での挑戦だったので、低段の挑戦ということで注目を集めました。タイトル挑戦者はA級八段が当たり前の時代でしたから」

――ご自身の初挑戦の時を振り返ると、いかがでしょうか。

「これほど早くタイトル戦に出られるとは思わず、とまどいがありましたね。和服も作っておらず、五番勝負を通して背広でした」

対局後の記者会見に臨んだ藤井七段 ©相崎修司

――この第11期棋聖戦では2勝3敗と惜しくも奪取に至りませんでしたが、半年後の第12期棋聖戦では3勝1敗と山田道美棋聖にリベンジを果たし、初のタイトルを獲得されました。

「やはり、2度目の挑戦の時のほうが落ち着いていましたね。藤井七段は早くタイトル戦の雰囲気に慣れることも大事です」

「記録は後からついてくるものです」

――改めて、中原先生から見ての藤井将棋とはどのようなものでしょうか。

「どこまで強くなるかわからないという意味では空恐ろしいものを感じますね。ただ、見ていて面白い将棋を指しています。谷川さん(浩司九段)、羽生さん(善治九段)もそうでしたが、プロが見たい将棋を指していますね。新しいことをやろうとしている、やってくれるだろうという期待感があります。ワクワクしますね」

将棋会館を訪れて弟子の晴れ舞台を見届けた、藤井七段の師匠・杉本昌隆八段。撮影を求めるとマスクを外してくれたので笑顔の一枚 ©相崎修司

――期待、という言葉が出ましたが、ファンの中では藤井七段が新たな記録を更新するのでは、という期待もあると思います。タイトル最年少の他、中原先生が保持している年間最高勝率の更新などが挙げられそうです。

「私の勝率記録(1967年度の0.855)は、当時はそれほど話題になりませんでした。記録というもの自体にあまりスポットが当たらなかったんですね。ただ50年以上経っても更新されないとは思わなかったです。藤井七段が更新するならばC級のうちにかなと思っていましたが、可能性としてはこれからもあります。ただ、藤井七段も記録については意識していないでしょう。まずは目の前の将棋に集中するだけで、そうすれば記録は後からついてくるものです」

――ありがとうございました。

2010年8月6日、日比谷松本楼にて行われた愛弟子・甲斐智美女流五段の女流王位就位式でスピーチする中原十六世名人 ©相崎修司

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