グレタ・ガーウィグといえば、『フランシス・ハ』や『ミストレス・アメリカ』といったインディペンデント映画で活躍する個性派女優として知られていた。だが、単独監督デビューを果たした自伝的映画『レディ・バード』が米批評家のあいだで高評価を獲得し、各映画賞でノミネートされると、たちまち女性監督の期待の星となった。

グレタ・ガーウィグ(映画監督)

 演技の仕事をこなしているうちに監督業に興味を抱く役者は珍しくないが、ガーウィグは元から監督志望だったという。

「どうやったら映画の世界に飛び込むことができるんだろうと考えて、雇ってもらえるんだったらなんでもいいやって感じで演技を始めたの。それに、当時は監督をするだけの勇気がなかった。映画という媒体を愛していたから、他の映画と同じだけの貢献ができる作品が作れなきゃいけないと思って。そのためには役者としての現場経験が役に立つと思ってね」

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 期待の映画作家となったガーウィグは、第2作にルイーザ・メイ・オルコットの不朽の名作『若草物語』の映画化を選んだ。すでに準備を進めていたスタジオに、自ら売り込んだほどだ。

「『若草物語』は幼いころからずっとお気に入りの小説なの。子供のころに母が読み聞かせてくれて、私にも物語を作ることができると信じるきっかけを与えてくれた大切な作品。主人公のジョー(・マーチ)は無鉄砲で野心的な女の子で、与えられた環境よりも、ずっと大きなものを求めている。同じ感情はずっと私のなかにもあって」

 19世紀後半のアメリカを舞台に四姉妹の人生模様を描く同作は、これまでに何度となく映像化されている。ガーウィグ版『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』には現代的な解釈が加えられているものの、舞台を現代に変えるなどの翻案は行っていない。

「この物語が持つ重みを伝えるためには、歴史ドラマとしてきちんと描く必要があった。女性が自分でお金を稼ぐことなんて考えられなかった時代に、作家を志すという、革命的な女性の物語だから。男女の賃金格差がいまだに議論されている現代において、この物語を見てもらうことはとても意味があると考えたの」

 オルコットが『若草物語』を発表したのは1868年のこと。それから150年以上もの年月が経過したことを考慮すると、女性を取り巻く環境の改善は遅々としているように映る。

「前進はしてる。そもそも、オルコットがいなければ、私が映画を作ることなんてできなかった。彼女は多くの女性に物語を紡ぐ許可を与えてくれた。世界をより良い場所にしたいと願うならば、女性にもっとチャンスが与えられるべきだと思う。私が望むのは、たとえばいま15歳の女の子が、この映画を観たり、原作を読んだりして、自分も物語を作りたいと思ってくれることね。そうやってみんなで重たい岩を持ち上げて、丘を登っていくしかないかな」

Greta Gerwig/1983年、米カリフォルニア州生まれ。独立系映画で女優として頭角を現し、初単独監督作『レディ・バード』(2017)がアカデミー賞5部門ノミネートの快挙を達成。

INFORMATION

映画『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』
https://www.storyofmylife.jp/