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従兄の急逝と、ひとり出版社の計画

――ご本では、夏葉社の10年を綴られていますが、そもそも2009年9月にひとりで出版社を立ち上げたきっかけは、仲良しだった従兄を事故で亡くされたこと。転職活動がうまくいっていなかった当時の島田さんご自身が「従兄もいなくなったし、社会にどうやらぼくの居場所はなさそうだ」と思いつめながらも、息子を亡くした叔父さん叔母さんへ、島田さんの好きな一編の詩を本にしてプレゼントしたいという思いから、ひとり出版社の計画は始まったのですよね。

さよならのあとで』。モノクロのイラストは、高橋和枝さんの手によるもの。

島田 ごく個人的なところから今の仕事は始まったのですが、当初の計画は大幅にずれてしまって……。従兄の死を少しでも明るいものにしようと、叔父と叔母に手渡すような思いで本の形にした『さよならのあとで』は、2年以上かかって夏葉社の4冊目になりました。

――ほとんど経験ゼロの状態からはじめて、個人的な目標ともいえる『さよならのあとで』を出したあと、次の目標を見失ったりしませんでしたか? ひとり商売だから、力が抜けてしまうと次の目標を見出しにくくなるんじゃないかと気になったのですが。

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島田 『さよならのあとで』を出したくらいの頃に、飲み屋で同業者から絡まれたんですよ。「お前の仕事は復刊ばっかりだろ、大したことない」って、しかも別々の飲み会で2回(笑)。確かに最初に出した本は、バーナード・マラマッドの『レンブラントの帽子』、2冊目が関口良雄『昔日の客』、3冊目が『上林暁傑作小説集 星を撒いた街』。自分の好きな作品の復刊ばっかりなわけですよ。だからって「大したことない」は言い過ぎだろうと。それで俄然やる気が出て、じゃあオリジナルの新刊をやってみようと思って、84人の執筆者(作家、アーティストなど)に「冬と一冊の本をめぐるエッセイ」をお願いして『冬の本』を出版しました。47都道府県の本屋さんを緻密なイラストと愛情あふれる文章で紹介した『本屋図鑑』もその流れで生まれた一冊です。

夏葉社の復刊第1作『レンブラントの帽子』と、書き下ろし第1作『冬の本』。どちらも和田誠さんが装丁を手がけた。

 後から考えると、あの時いろいろ言われたのがよかった。『冬の本』によって現役の書き手の方々とのつながりができて、自分の心のなかでは、彼らに対して大きな借りがあるような思いがあるんです。「この人にはお返しした、した、した」みたいな。

――恩返しリストみたいですね。

島田 そうです。『冬の本』に寄稿してくださった方の本が次々とできています。橋口幸子さんが、詩人の妻・田村和子さんについて綴ったエッセイ『いちべついらい』もそのなかの一冊です。

いちべついらい』。「個人的なことをつきつめたところに、普遍的なものがあるような気がするんです」と島田さんはいう。

――『冬の本』は島田さんが好きで尊敬する方々に寄稿をお願いして出来上がったアンソロジーですし、夏葉社第1作の『レンブラントの帽子』は装丁・和田誠さん、巻末エッセイ・荒川洋治さんと、島田さんが大好きなお二人が関わっています。「ひとり出版社」だから当然なのかもしれませんが、好きな人としか仕事をしないということに、ためらいとか、これでいいのかなと思ったことはないですか。

 

島田 うーん。仕事をする上で何を最大限に重んじるかと考えたときに思い出すのは、ある時床屋のお兄さんに言われた言葉なんです。「仕事というものは何をするかというよりも、誰とするかのほうが重要なんだ」。尊敬できる人、好きな人と仕事をすれば、どんな仕事をしても楽しい。だから、何をするかというよりは、誰とするかのほうが重要。

 どんなに素晴らしい仕事でも、好きではない人と仕事をすれば、それはいいものにならない気がするんですね。プロからすれば、甘いと言われることかもしれないですけれども、いやぁぼくは、好きではない人と仕事をして胃を痛めたくない。