なんという激しい外交だ。直接絡んでいない人までブロックされているという。エゴサーチによる先制攻撃なのかもしれないが、圧倒的多数は一般市民である。河野がかつて立ち向かってきた「強者」ではない。河野は完全に戦う相手を間違っている。
そんな状態なのに、河野は「次期首相になってほしいのは誰?」というアンケートで4位につけた。なぜだ。
私なりに人気の理由を考えてみたが、正直なところ、最近の実績が評価されたからだとは思えなかった。人々が河野に期待しているのは、「安倍晋三首相のコピー」ではないはずだ。安倍路線を引き継ぐだけであれば、岸田文雄の人気がもっと上がってもいいはずだ。
やはり、河野は「自身の過去の遺産」になりつつある「攻めの姿勢」を評価されているのだと私は考える。これは攻撃的な言動で注目を集めた吉村洋文大阪府知事がいきなり2位にランクインしたことからもうかがえる。人々は「ポスト安倍」に「激しく戦う姿勢」を求めているのではないだろうか。
「文科省なんかやめちゃって……」魅力的だった“過去の太郎”
私が初めてナマで政治家・河野太郎を見たのは2006年8月のことだ。当時の彼は43歳。同年9月に予定されていた自民党総裁選に、誰よりも早く出馬表明をしていた。
正確に言う。河野が「派閥調整ではなく、国民、党員に政策を訴えるのが先だ」と声高らかに出馬表明をしたのは、同年5月11日。9月20日に行われる自民党総裁選の4カ月以上も前のことだった。
あまりにも早い出馬表明に、マスコミの注目は「総裁選出馬に必要な推薦人20人を集められるのか」という点に集中した。彼が所属する「河野グループ」からは、リーダー格の麻生太郎が出馬することが確実視されていたからだ。当時の空気は「本当に集められるのか(笑)」だったと記憶している。
総裁選が近づいても、20人の推薦人は集まっていなかった。私が『週刊プレイボーイ』の取材に同席し、河野が語る熱い政策の数々に耳を傾けたのは、そんな時だ。
「政策を聞きに来たのは週プレが初めてです」
取材班を嬉しそうに迎え入れると、彼は次々と思い切った政策を語り始めた。党の中で重要な地位を占めていれば、おそらくこんなに歯切れのいいことは言えなかっただろう。
「年金を消費税で賄って保険料を納めなくすれば社会保険庁はいらない」
「消費税を8%にすれば、保険料を納めなくても今の国民年金と同じ額を支給できる」
「文部科学省なんかやめちゃって、それぞれの市町村と教育委員会に権限とお金を渡して『自分でカリキュラムは考えてくれ』とやればいい」
元気な人がいるなあ、と思った。こういう人が自由に声を挙げられる自民党は、捨てたもんじゃないなあ、とも思った。
しかし、推薦人は最後まで集まらず、河野太郎は2006年の総裁選に立候補できなかった。彼は間違いなく自民党の中では異端児であり、そうした役割こそが存在意義だった。