長いものに巻かれなかった太郎
若き日の河野太郎はとにかくチャレンジャーだった。強者に対する攻めの姿勢があった。
2009年9月の総裁選に手を挙げた時は、派閥のボスを「腐ったリンゴ」と評した。総裁選前の両院議員総会で「推薦人を10人に下げよう!」と動議も出した。この動議はあっさり否決されたが、河野は「推薦人集めを邪魔した」として、町村信孝を名指しで批判した。
私が総裁選直後のインタビューで名指しした理由を問うと、河野は胸を張って答えた。
「総裁選の最中に暗躍されても困るから、最初に一発ガツンと言う必要があったんです」
この総裁選で河野は推薦人20人を集め、初めて「総裁候補」となった。しかし、結果は次のとおり。党員票では西村康稔に大きく差をつけたものの、国会議員票では西村に負けた。国会議員票、党員票ともにトップの得票を得た谷垣禎一にはダブルスコアで敗れた。
◎国会議員票
谷垣禎一120、河野太郎35、西村康稔43
◎党員票
谷垣180、河野109、西村11
◎合計
谷垣300、河野144、西村54
総裁選では全国遊説が行われる。私も街頭での演説会を取材したが、聴衆の反応が一番良かったのはお世辞抜きに河野だった。彼自身も私の取材にこう答えている。
「街頭演説では『ここで投票箱を回したら勝つな』という感覚が常にあった」
「今まで河野太郎は『自民党の中の冥王星』と言われていて、突然なくなってもわからないような存在だった。今回の結果で自民党の太陽は谷垣さんになったけど、河野太郎は太陽の近くにいる大きな星になった」
自民党の中ではメジャーになりつつも、外には大きな敵がいた。2009年8月30日の総選挙で政権交代を果たした民主党である。
河野太郎は野党の立場ながら、民主党政権下で行われた事業仕分けを視察し、「正直うらやましい。もっと厳しくやって」とハッパをかけた。「民主党だけでできないなら、ぜひ私を入れてほしい。やる気は十分ある」とラブコールも送った。
無駄な事業を絞ることは国民のためになる。まだまだ河野の軸足は弱い者の立場にあり、目は強い者に対して向いていた。